今日という日はどんな日でしょうか?
日本史の中の出来事を覗いてみましょう。
1709年(宝永6)の今日の卯の刻(うのこく:午前6時頃)、江戸幕府の第5代将軍、徳川綱吉(とくがわつなよし)が死去しました。享年64歳でした。
年末から麻疹(はしか)を患っていたものの、元日には平癒し、9日に回復の祝宴が催されたばかりでしたが、深夜よりはげしい下痢が起こり急に亡くなったのでした。
綱吉の死については、夫人の信子が殺して、そして信子自身も自害した、という風説が流布しました。信子が同年2月9日に亡くなっており、この様に相次いで世を去ったために生まれたネタでしたが、生類憐れみの令や悪貨鋳造に苦しめられた国民が鬱憤を晴らそうとして練り上げられたネタでありましょう。
京都の公家、近衛基煕(このえもとひろ)は綱吉が亡くなったという報を聞いて、その日記に
「諸国の人民はその凶事を聞いて内心は悦んでいるのではないか…」
と記しています。
徳川綱吉といえば、特に名高いのが生類憐れみの令です。これは天下の悪法として名高いものでしたが、綱吉は、この令に対する心残りは相当あったみたいです。
実際に、1月10日の臨終の床で、第6代将軍となる徳川家宣(とくがわいえのぶ)はじめ柳沢吉保(やなぎさわよしやす)らの重臣を前にして
「予が生類を憐れむことは、たとえ行き過ぎであろうとも、これだけは百年の後までも守ってくれよ、予が生きていたときと同じようにしてくれ、それが何よりの孝行であるぞ」
と遺言を残しているのです。
しかし、第6代将軍の徳川家宣は、まだ綱吉の遺体が柩(ひつぎ)の中に収められるか収められないかのうちに、柳沢吉保を呼んで次の様に言います。
「先代の仰せは、たしかにあの禁令を残せよということであるが、しかし、このごろの状態を思うと、この禁令にふれて罪人にされたものは何十万人と数えることも出来ないほど多いようだ。あの様にまで遺言されたけれども、天下万民を救うためには、予は、あくまでもその禁令を除くつもりだ」
そして、この生類憐れみの令は、綱吉の葬儀の2日前の1月20日に解かれました。中野などに設けられた犬小屋は、即刻廃止されました。
また、幕府は、国民の不満の下であった悪貨の宝永通宝も1月17日に通用の停止を命じました。
尚、拙blogの11月3日の記事で、生類憐れみの令び伴い、中野に出来た犬小屋で犬の養育が始まった、という出来事について触れています。そちらも併せてご一読頂ければ幸いです。直後にリンクを貼り付けておきますので、そちらからどうぞ。
→11月13日 <中野の犬小屋で犬の養育が始まりました(1695年=元禄8)>
今日はここまでです。
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