1月29日 <『中央公論』『改造』の編集者が検挙される…横浜事件。(1944年=昭和19)>

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今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の中の出来事を覗いてみましょう。

 

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1.出来事ピックアップ

 

1944年(昭和19)の今日、自由主義的傾向の強かった総合雑誌の「改造」や「中央公論」の編集者が、共産党再建に加担したとして検挙されました。

 

2.解説

 

この出来事は、第二次世界大戦の最中に起こった神奈川県特高警察と警視庁とによる、横浜事件と呼ばれる言論弾圧事件です。横浜事件は神奈川県警の管轄事件であったために付いた呼び名です。

 

1942年(昭和17)雑誌「改造」の8・9月号に掲載された細川嘉六(ほそかわかろく)の論文「世界史の動向と日本」が、共産主義の宣伝にあたるとして、神奈川県特高課は9月14日に細川を検挙しました。その際、雑誌「改造」は発売禁止処分に処されています。

 

そして、その後、細川と交流のあった朝日新聞社、日本評論社、岩波書店の関係者にも追求の手が伸び、編集者や左翼運動家など約60人が治安維持法違犯の容疑で検挙され、厳しい拷問で4名が獄死しています。また、この出来事で「改造」「中央公論」は廃刊となりました。

 

Wikipediaにはどのよ様な拷問であったか記載されているので、以下に引用します。

「神奈川県警特別高等警察(特高)は被疑者を革や竹刀で殴打して失神すると気付けにバケツの水をかけるなど激しい拷問をおこない、4人が獄死。」

(Wikipedia「横浜事件」から引用)

 

こうした拷問により、自白を強要して共産党再建の謀議を捏造し、1945年(昭和20)8月下旬〜9月にかけて判決が言い渡され、約30人が執行猶予付きの有罪とされました。

 

この判決が下された時期というのは日本が第二次世界大戦に敗戦した直後なんですねぇ。当時の公判記録は政府関係者によって故意に焼却されて残っていないそうです。

 

2010年2月4日、横浜地裁は、特高警察による拷問を認定し、共産党再建準備とされた会合は「証拠が存在せず、事実と認定できない」として、さらに確定有罪判決は「特高警察による思い込みや暴力的捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結した」と認定し、「警察、検察、裁判所の故意、過失は重大」と結論づけ、この横浜事件が冤罪であったことを認めました。

 

 

今日はここまでです。

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