1月27日 <フョードル・シャリアピン、日比谷公会堂で来日公演(1936年=昭和11)>

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82年前のこの日、ロシアのバス歌手、フョードル・イワノヴィッチ・シャリアピンが東京の日比谷公会堂で来日公演を行いました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

20世紀前半のロシアを代表するクラシックの歌手にフョードル・イワノヴィッチ・シャリアピンが居ました。声域はバスという歌手では最も低い音域を受け持つ歌手でした。こんな方です(写真は例によってWikipediaからの借用です)。

<フョードル・イワノビッチ・シャリアピン>

 

いきなり脱線してしまいますが、日本の俳優・声優の若山弦蔵さん、あの方は非常に低い音域の声を発せられますね。俳優や声優として世に出る前は、クラシックの歌手の勉強もなさったそうですが、声の音域が低すぎて(バスよりも低かった)、歌手としての道は閉ざされたそうです。

 

で、そのロシアのシャリアピン、力強く、柔らかでありながら声量は豊かで、偉大な歌手でした。特にオペラでの活躍、ロシアオペラの名演の数々は今もなお燦然と輝く魅力を放っています。

1936年(昭和11)には、シャリアピンは来日し、東京・名古屋・大阪で公演を行いました。同年のこの日が東京公演で、場所は日比谷公会堂でした。クラシックファンのみならず、多くの大衆に評判になったそうです。

 

下に貼り付けたのは、YouTubeにUpされているシャリアピンが出演した1933年の映画「ドン・キホーテ」から「公爵の歌」をシャリアピンが歌う動画です。どうぞご覧下さい。


<フョードル・シャリアピン 「公爵の歌」(映画 ドン・キホーテ) 1933>

時間のある方は、映画全編の動画もありますよ。


<Adventures of Don Quixote (1933) – Full Classic Movie>
ところで、シャリアピンと聞いて、肉料理を思い出される方もいらっしゃるのではありませんか?

そうです、

 

「シャリアピン・ステーキ」

 

の語源に、このフョードル・イワノヴィッチ・シャリアピンその人があるのです。そのメニュー誕生秘話がWikipediaに出ているのでマルっと引用してしまいますね。

「シャリアピン・ステーキの由来」
1936年(昭和11年)の日本滞在中、シャリャピンは入れ歯の不具合(或いは歯周病。両者は矛盾しない)に悩んでいた。宿泊先の帝国ホテルのレストラン「ニューグリル」の料理長であった筒井福夫は、シャリャピンの要望に答えるため柔らかいステーキを作る調理法を考案した。肉をたたいて薄く延ばし、それを玉ねぎに漬け込んで柔らかくして焼き上げ、更にみじん切りの炒め玉ねぎをかけて供した。シャリャピンはそれを気に入ったとされている。帝国ホテルは、その料理をシャリアピン(シャリャピン)の名前から「シャリアピン・ステーキ」と名づけた。
(Wikipedia「フョードル・シャリアピン」から引用)

なかなか結構なものですよ、シャリアピン・ステーキ。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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