1月29日 <日本製鉄が誕生(1934年=昭和9)>

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84年前のこの日、1所(八幡製鉄所)5社(輪西・釜石・三菱・九州・富士)の統合により日本製鉄株式会社(日鉄)が設立されました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

今回の記事の日本製鉄株式会社は、日清戦争の後につくられた官営八幡製鉄所と、第1次世界大戦後に経営難に陥っていた民間の銑鉄企業、一部の民間製鋼企業とが合同してできた半官半民の製鉄会社です。略称は「日鉄」です。

具体的には、1934年(昭和9)のこの日、官営八幡製鉄所(福岡県)を中心に、輪西製鉄(北海道)・釜石鉱山(岩手県)・三菱製鉄(朝鮮)・九州製鋼(福岡県)・富士製鋼(神奈川県)の1所5社が合同して設立されました。この会社が出来た時、最大の株主は大蔵省で、なんと82.2%の株式を保有していました。

 

当時の日本国内では最大の鉄鋼メーカーであり、日本の鉄鋼業を代表する存在であった日鉄は、銑鉄市場はほぼ独占し、また鋼材市場も約半数のシェアを持っていました。

 

この日鉄ですが、第2次世界大戦後の1948年(昭和23)には過度経済力集中排除法の指定企業となり、1950年(昭和25)に財閥解体の一環で4社(八幡製鉄・富士製鉄・日鉄汽船(現・NSユナイテッド海運)・播磨耐火煉瓦(現・黒崎播磨))に分割・解体され消滅しました。

このうち、八幡製鉄と富士製鉄は鉄鋼メーカーで、それぞれ

  • 八幡製鐵:八幡製鉄所
  • 富士製鉄:輪西・釜石・広畑の各製鉄所と富士製鋼所

の事業を承継しています。その後、業界の再編の過程で、1970年(昭和45)には、八幡製鉄・富士製鉄が合併し、新日本製鉄(新日鉄)となったのでした。その新日鉄もまた、2012年(平成24)に住友金属工業と合併し、新日鐵住金と名を変え現在に至っています。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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