1月6日 <木村 栄、Z項を発見(1902年=明治35)>

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116年前のこの日、水沢緯度観測所の初代所長の木村栄は、緯度変化に関する公式の補正項としてのZ項についての論文を発表しました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

な、なんか、判らないんですけど……

と言いつつ、日本史の上での出来事として記事にしますね。

 

明治時代の初め、政府は盛んに外国人教師を招き、その指導のもとに、様々な分野での新しい研究手法が取り入れられていきました。法制・宗教・文芸・美術・歴史学・教育・自然科学・医学・産業といった具合に学問的な分野だけでなく、まさにありとあらゆる分野で欧米先進国の研究の成果を受け入れようと努力したのです。

そして、1890年(明治23)以降になると、次第に日本人の学者による独創的な研究も進められるようになっていきました。

 

1899年(明治32)、天体観測などの科学技術手法を用いて、正確な緯度を測定する事業を行うために設立された水沢緯度観測所の初代所長であった木村栄は、緯度変化の観測結果の処理法を研究中、緯度変化に関する補正項としてのZ項を発見しました。そして、1902年(明治35)のこの日、その論文を発表したのです。

このZ項については、Wikipediaの説明に全面的に頼りたいと思います。

———- 以下、Wikipedia「Z項」より引用 ———-

地球の自転軸は形状軸(南北軸)とは完全に一致せず、形状軸の周囲を移動しており(極運動)、いくつかの周期的成分が含まれる。

それについて、形状軸からのズレを X, Y とすると、経度λの観測点での緯度の変化Δφの式は

 

 Δφ = X cos λ + Y sin λ

 

とされていた。しかし、日本での観測データにそれでは説明できない誤差が発見され、当初は観測ミスとされたが観測機器の再点検や、他の観測点のデータも含め検討の結果、観測点の経度によらない補正項を木村栄が考案、それをZとし、式を

 

Δφ = X cos λ + Y sin λ + Z

 

と修正することを提案した。提案を受け、とりまとめ側でも改めて他の観測データも再検討した結果、より適切な式であると評価され受け入れられた。

———- Wikipedia引用ここまで ———-

 

この論文に対して、1911年(明治44)に設けられた帝国学士院第1回恩賜賞が贈られ、また木村自身も、1937年(昭和12)に第1回文化勲章を授与されました。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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