1月8日 <「戦陣訓」が示達される(1941年=昭和16)>

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78年前のこの日、東条英機陸軍大臣が、軍人としてとるべき行動規範として「戦陣訓」を示達しました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

戦陣訓は、日中戦争が長期化するなかで、軍紀の退廃や占領地住民に対する非行という規律のゆるみが顕著となってきたため、その対策として、戦場で軍人の守るべき道徳、行動の準拠す示すものとして制定されました。

軍人勅諭の精神を具体化したものとして、教育総監部で起草(浦辺彰少佐)するにあたって島崎藤村や土井晩翠らも参加しています。制定された戦陣訓は、1941年(昭和16)1月7日に上奏され、同年のこの日の陸軍始の観兵式において東条英機陸軍大臣が陸訓第一号として示達しました。

 

精神主義一色に塗りつぶされたこの戦陣訓は、軍隊のみならず、一般国民に対しても流布・教育がされました。その一方で、軍隊の一兵卒に対する教育資料をしては使用されていなかったという事でもある様です。

 

しかしながら、

「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」

(戦陣訓「本訓 其の二」の「第八 名を惜しむ」から引用)

の一節は、太平洋戦争末期の数多くの悲劇的な玉砕を生んだだけでなく、沖縄戦における日本軍将兵による沖縄県民への集団自決強制などで多くの国民が無為の死を遂げる一因となったと考えられています。

 

軍人勅諭を奉読する東条英機陸軍大臣の音声が残されており、Wikipediaにそのリンクがあったので以下に貼り付けておきますね。

 

また、戦陣訓の全文が探検コムで紹介されていますので、こちらも併せてご覧下さい。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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