10月10日 <徳川家光の乳母が春日局の名を賜る(1629年=寛永6)>

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1629年(寛永6)のこの日、江戸幕府第3代将軍徳川家光の乳母ふくが、後水尾天皇から春日局の名を賜りました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

江戸幕府第3代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)の乳母(めのと)ふくは、伊勢神宮代参の帰途に上京し、ご機嫌伺いと称して、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)への拝謁を願い出ました。

 

折しも、幕府と朝廷との間は紫衣事件(しえじけん)によって険悪化し、後水尾天皇の譲位で宮中は大揺れでした。この謁見に幕府の意向が働いていることは明らかでした。無位無官の女性の拝謁など許されざる、あり得ないことでしたが、朝廷は幕府に屈せざるを得ませんでした。

 

1629年(寛永6)の今日、ふくは三条西実条(さんじょうにしさねえだ)の猶妹(義理の妹)ということで参内し後水尾天皇に拝謁し、従三位の位階と春日局の称号を賜りました。

後水尾天皇の譲位の一因に数えられる大事件でした。

 

この春日局、もとは明智光秀の重臣斎藤利三(さいとうとしみつ)の娘だったんですねぇ。すなわち「斉藤ふく」という名前でした。

1604年(慶長9)に徳川家光(幼名:竹千代)の誕生にともない、その乳母となりました。家光・忠長の世嗣争いの際に、徳川家康に訴えて家光の世嗣決定をみた話は特に有名ですね。

徳川秀忠の御台所崇源院没後は大奥を統率し、その影響力は幕府の内外に及びました。この春日局の縁故で出世した者も多いのです。

 

政治的な手腕があった…ということなのでしょうね。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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