10月 出来事

10月13日 <日蓮、武蔵国池上で没する(1282年=弘安5)>

2018/10/14

1282年(弘安5)のこの日、病気療養中であった日蓮が61歳でこの世を去りました。

これは鎌倉時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

1282年(弘安5)の秋、病気療養のため、日蓮は身延山を出て常陸国の温泉に向かっていました。

ところが、武蔵国池上の門弟池上宗仲邸まできたところで力尽き、10月13日の朝、61年の生涯を閉じました。

現在の池上本門寺はそのゆかりの地で、忌日法会である御命講(御会式のこと)が行われています。

 

この日蓮は、鎌倉時代の僧で、日蓮宗(法華宗)を開いた人物です。安房国小湊の海縁村落の海人の子として生まれ、12歳で仏門に入りました。故郷にある天台宗の寺院である清澄寺にのぼり、16歳のとき「日本一の智者」になるべく出家して是聖房蓮長と名乗りました。

それ以降、鎌倉・比叡山・南都・高野山などで修行をした結果、法華経の教えが最も優れている!という確信に至ったのです。

そして1253年(建長5)、31歳の時に日蓮宗(法華宗)開きました。彼の教えは、

「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」

というお題目を一心に唱えればそのまま成仏できる…と説いたのでした。

その一方で、日蓮は

「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊(ねんぶつむげん、ぜんてんま、しんごんぼうこく、りつこくぞく:念仏は無間地獄、禅は天魔の所為、真言宗は亡国、律は国賊)」

と他宗に激しい攻撃を加えたものですから、他宗の反感を買い、また幕府からも迫害を受けました。

結局、鎌倉では受け入れられることなく、甲斐国の身延山に赴き、弟子の育成に勤めたのでした。

波瀾の布教人生だったみたいです。そしてその教えは、地方武士、都市商人、職人といった人々に受け入れられました。

 

近代では、創価学会や立正佼成会、或いは国柱会などがこの日蓮宗の系統です。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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