1873年(明治6)のこの日、明治政府は従来の五節句を廃止して国の祝日と祭日とを定めました。
これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
この祝祭日というもの、古くは宮中祭祀の五節會(ごせちえ)、武家社会の五節句(ごせっく)などが重んじられました。
明治政府は、1873年(明治6)のこの日、「年中祭日祝日等ノ休暇日」を布告し、広く国民が祝うべき国家の祝日および皇室の大祭日を定めました。
それには
祝日
- 1月1日:元日(四方節)←1879年(明治12)追加
- 1月5日:新年宴会
- 2月11日:紀元節
- 11月3日:天長節
祭日
- 1月3日:元始祭
- 1月30日:孝明天皇祭←1912年廃止
- 3月21日ころ:春季皇霊祭(春分の日)←1878年追加
- 4月3日:神武天皇祭
- 7月30日:明治天皇祭←1913年追加、1926年廃止
- 9月17日:神嘗祭←1878年に10月17日に移行
- 9月23日ころ:秋季皇霊祭(秋分の日)←1878年追加
- 10月17日:神嘗祭←1878年に9月17日から移行
- 11月23日:新嘗祭(のちに勤労感謝の日)
これらの祝祭日は天皇の崩御によって若干の改廃が行われました。
現在では少なくなりましたが、この日には、祝意を表し各家に国旗が掲げられました。そうしたことから、一般的に「旗日」とも呼ばれていました。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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