10月2日 <安政の江戸地震が発生(1855年=安政2)>

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1855年(安政2)のこの日、江戸を直下型地震が襲いました。推定震度マグニチュード7、死傷者が20万人とも1万4,000人とも言われる安政の大地震です。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

今年(2016年)は九州の熊本県を中心とする地域で大地震が発生しました。その地震により、江戸時代に完成した文化遺産熊本城(現在の天守閣は1960年に再建されたものですが)も損壊した部分があります。

 

日本に地震が多いのは今に始まったことではなく、それこそ大昔からのことなのですが、江戸時代に目を向けてみますと、江戸幕府が成立した1603年(慶長8)年から1867年(慶応3)に大政奉還されるまでの265年の間に、江戸においての大地震は3回あったそうです。

1649年(慶安2)6月20日
1703年(元禄16)11月23日
1855年(安政2)10月2日

今日は、この3つめの安政の江戸地震の話題です。

 

注目すべきなのは、歴史上、安政の地震と呼ばれるものには2つあることです。一つは「安政の東南海地震」で1854年(安政元)11月4日と5日、もう一つは今日ご紹介する「安政の江戸地震」です。本題に入る前に少し脱線して、「安政の東南海地震」について少し書いておきましょう。

1854年(安政元)11月4日に遠州灘〜駿河湾を震源地とするマグニチュード8.4の地震が東海地方を襲い、その翌日11月5日には土佐沖を震源地とするマグニチュード8.4の地震が中部・近畿・四国・九州を襲いました。一日の時間差で東海地方から九州までの広い範囲が地震の被害を受け、家屋の倒壊のほか、津波で大変な被害が出たのです。東海地震での倒壊・焼失家屋は3万戸、亡くなった方3,000人で、南海地震での亡くなった方は数千人とされています。

 

さて、本題の安政の江戸地震は、先の安政の東南海地震の翌年です。年続きで大変な被害が発生する地震が起きていたのですねぇ。

 

1855年(安政2)のこの日、江戸は朝から雨だったそうです。地震が襲ってきたのは夜でした(上記した江戸で起こった3回の大地震は、いずれも夜に起きているのです)。震源地は荒川河口付近で亀戸から市川あたりなので、典型的な直下型地震です。地震規模を表すマグニチュードは6.9と推測されています。被害は、江戸市中、特に深川・本所・下谷・浅草が酷かったそうです。

 

さらに、地震後の火災が追い打ちをかけます。地震とともに数十箇所から火災が起こり、江戸市中はまたたくまに火の海と化し、翌日夜まで燃え続けたといいます。

 

その被害の実態は様々な説があり、亡くなった方や怪我をされた方は多い説では20万人、少ない説でも1万4000人(町民4,000人、武家・寺社10,000人)とされています。また、倒壊家屋は約10万戸との説があり、当時の江戸の民家は35万戸前後とみられているので、1/3の家屋が倒壊の憂き目にあったということです。

 

いつの時代も、大地震は住民の生活や経済活動に大きな影響を及ぼすものですが、そうして繰り返される大災害にもめげず、立ち直ってきたのですから、人間はホントに強いものだと思います。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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