11月13日 <中野の犬小屋で犬の養育が始まりました(1695年=元禄8)>

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1695年(元禄9)のこの日、動物愛護(生類憐れみ)の一環で市中に溢れた野犬を救うために江戸幕府は中野村などに犬小屋を建設し、野犬の養育を始めました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

江戸時代の徳川将軍15名のなかで、自分のやりたいことをやれたのは、実は5代将軍徳川綱吉なのです。

 

3代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)も結構色々自由にやりましたが、その当時の側近には家光を御することが出来る者が居ましたし、また11代将軍の徳川家斉(とくがわいえなり)も放埒なところはありましたが、松平定信(まつだいらさだのぶ)や水野忠邦(みずのただくに)といった幕閣が政治の要にいたので、家斉の意志がそのまま政治に反映されたワケでもなかたのです。

ところが、綱吉は違いました。当初は老中の堀田正俊(ほったまさとし)がコントロール役を果たしていましたが、堀田正俊が亡くなってからは、綱吉を抑えられる人が居ませんでした。気に入られなければ排除されたのです。

 

そうした綱吉の時代に発令された有名な法令があります。「生類憐れみの令」です。文字通り生類保護に関する幕府の法令で、1685年(貞享2)頃から次第に具体化されていきました。最初は

 

「御成(おなり)の通路に犬・猫が出ても苦しくないから、つなぐことは無用」

と禁じ、その後

 

「犬など生類を憐れむように」

という命令が出ました。1686年(貞享3)には

 

「主のない犬に食事もやらず、犬その他の生類のやりとりをしてはならないと考えているのは法令の趣きを心得ちがいしているためである。」

「大八車や牛車で犬を轢き損じて仕置にあう者がいるから、過ちのない様に」

といった幕府見解もだされています。

 

この生類憐れみの令は、この後綱吉が1709年(宝永6)に亡くなるまで続きます。その原因については「三王外記」に次の様に記されています。

「綱吉が1682年(天和2)に世嗣の徳松を失ってから子がなく、あらゆることをして嗣を求めることをしていたときに、母の桂昌院の信仰していた僧の隆光(りゅうこう)が、『人の嗣子が無いのは前生に殺生を多くした報いであるから、子供を求めるには生物を愛して殺さないのがもっとも良い。それゆえ殺生を禁じ、かつ将軍は戌年の生まれであるから、犬をとくに大事にするがよい。』と進言した。桂昌院もこれを聞いて綱吉にすすめ、それからはじまった。」

 

最初のころは、不仁を禁ずる…という程度でしたが、それが徐々にエスカレートしていきます。

1686年(貞享4)1月には「人宿または牛馬宿で、重病の生類を死なないうちに捨てることを厳禁」

同年2月「食料のために魚鳥・亀。貝類を飼育して売ることを禁じ、娯楽の為に飼うことは許容」

同年同月「犬が見えなくなったらほうぼうを探してたずねだすように。また他所の犬が来たならば、大事に養っておいて、主が知れしだい返してやるように」

ところが、人々は後難を恐れて野犬には餌などを与えなかったので、飢えた野犬が横行し、江戸の大問題となっていきました。

 

こうした状況に対して、幕府は1695年(元禄9)には犬小屋を建てて、野犬を蓄養しはじめます。四谷大木戸、大久保、中野といった地名がその場所として残っており、中野の犬小屋で営業が始まったのが、その1695年(元禄9)のこの日なのです。

 

大久保は2万5000坪、中野は16万坪の広大な土地がそのために用意されました。大八車を借り上げて運んだ犬は同年10月までに42,000頭に及んだそうです。中野には25坪ずつの御犬小屋が290棟、7坪半ずつの日除け場が295棟、子犬養育所が459箇所、その他の施設のために銀2314貫余とコメ5500余石を費やしました。犬の飼育数はピーク時には82,000頭に及び、一日の費用は銀16貫余、年間金98,000両を必要としたということです。このほかに、中野村の農民へも、一年に金2分の養育料を与えて飼育させました。この村預けの分として1706年(宝永3)から1708年(宝永5)までの3年間に35,000両を払ったという記録が残っています。現在の貨幣価値になおすと、中野の犬の年間養育費に98億円、村預けに3年間で35億円掛かったということです。

 

こうした費用を出すために、江戸の町人には小間1間に金3分ずつださせ、関東の諸国へも犬扶持として与えられた石高100石に対し1石ずつ出させました。そうした施策の為に、徳川綱吉は

「犬公方」

と称されていたそうです。

 

綱吉が亡くなると、中野やその他の犬は分散されました。数万頭いた犬が追い放たれてどうなったかは定かではありません。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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