11月29日 <「第九」が初演奏されました(1924年=大正13)>

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93年前のこの日、ベートーヴェンの「第九交響曲」が日本で初めて演奏されました。

これは大正時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

我が国では、年末の風物詩みたいな感もあるベートーヴェンの第九交響曲の本邦初演に関する記事です。この出来事ですが、色々調べ始めると部分的、あるいは不完全な編成による演奏であれば更に6年ほど遡った1918年(大正7)という記録も残っているそうです。それにつきましては、この記事の後半でご紹介申し上げます。

 

1924年(大正13)のこの日、東京音楽学校の奏楽堂で、ベートーヴェンの「第九交響曲」が日本で初めて演奏されました(公式記録だそうです。出典Wikipedia)。

指揮は同校教師として赴任していた元ベルリン・フィルのヴァイオリニストであったグスタフ・クローンで、同年の春から同校職員・学生・海軍軍楽隊にさせた猛練習の発表会でした。興行としては一週間前に入場券が売り切れるほどの大成功をおさめました。

その演奏についてはWikipediaに面白い記述がありましたのでご紹介申し上げましょう。

東京音楽学校での初演については、この演奏を聴いた最後の生き残りであった作家の埴谷雄高が、「演奏中にコンサートミストレスの安藤幸子(幸田露伴の妹。姉の幸田延子ともども「上野の西太后」と呼ばれた)が早く弾きだした部分があり、演奏はガタガタとなってしまった」と証言している。

(Wikipedia「交響曲第9番(ベートーヴェン)」から引用)

まぁ、演奏はボロボロだったみたいですねぇ。

 

冒頭にも書きましたが、この演奏が本邦初演というのが公式の記録としてありますが、それより更に早い時期に部分的にあるいは不完全な編成による演奏記録が残っています。出典はWikipediaです。

 

1918年(大正7)6月1日、徳島県板東町(現・鳴門市)にあった板東俘虜収容所で、ドイツ兵捕虜により全曲演奏がなされたのが、日本における初演だそうです。ただし、収容所に女性はいないので、独唱と合唱は全て男声用に編曲され、また、ファゴットとコントラファゴットが無かったので、オルガンで代用するなどした、ということです。この演奏については、映画「バルトの楽園」(出演:ブルーノ・ガンツ、松平健ほか)によって公になっています。『バルトの楽園』では、近隣住民を招待してこの第九演奏会を見せたことになっていますが、実際には収容所内の演奏会だったため、『第九』を聴けた日本人は、収容所関係者のみだったそうです。

そしてさらに、1919年(大正8)12月3日、福岡県の久留米高等女学校(現・福岡県立明善高等学校)に久留米俘虜収容所のオーケストラのメンバーが出張演奏し、様々な曲に交じって『第九』の第2・第3楽章を女学生達に聞かせたという記録もあります。これが一般の日本人が『第九』に触れた最初だと言われています。その2日後の同年12月5日には、久留米収容所内で男声のみと不完全な楽器編成での全曲演奏がなされた、という記録もあります。

1924年(大正13)1月26日、九州帝国大学の学生オーケストラ、「フィルハーモニー会」(現在の九大フィルハーモニーオーケストラ)が当時の摂政宮(後の昭和天皇)の御成婚を祝って開いた「奉祝音楽会」で『第九』の第4楽章を演奏しています。しかし、このときに歌われた歌詞は、ドイツ語でも日本語の訳詞でもなく、当時の文部省が制定した『皇太子殿下御成婚奉祝歌』の歌詞を『第九』のメロディにアレンジしたものでした。

 

こういった前例もあるので、この日に起こった出来事として第九の本邦初演を上げるのは、正式の楽器編成で全曲演奏…という前提条件付きの上で、ということになりますねぇ。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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