今日という日はどんな日でしょうか?
日本史の中の出来事を覗いてみましょう。
当blogの9月18日の記事「ブログを書いていてふと思い出した話」に、チラリと書きましたが、1990年代にわが国の古代史に関する新たな発見が次々と見つかっていた事がありました。
日本には旧石器時代があったのか?と言われていた時代がかつてありましたが、群馬県の岩宿の切通しに見られる、関東ローム層のなかで最も上面に堆積し、年代が新しい立川ローム層(たちかわろーむそう)の中から1946年(昭和21)に相沢忠洋氏が打製石器を発見したことにより旧石器時代があった事がわかりました。
1950年(昭和25)に宮城県に生まれた藤村新一氏は、考古学に興味を持つようになり、1970年代に同県にある旧石器研究グループの「石器文化談話会」と交流を始めました。それ以降、藤村氏はそれまでのわが国の旧石器時代の時代を過去に大きく遡らせるような大発見を次々と成し遂げて行きました。その驚異的な発見率ゆえに、氏は「ゴッドハンド」と称せられるほどでした。
ところが、藤村氏の発掘現場での不審な行動についての情報を受け、毎日新聞社が張り込み取材をした結果、藤村氏が発掘現場の土中に石器を埋め込み仕込んでいる様子の写真・ビデオ撮影に成功したのです。そして、藤村氏への直接の取材と捏造の確認を経て2000年の今日、旧石器捏造が明らかになり、翌日の朝刊の第一面を飾る大事件となったのでした。
この事件の発覚により、藤村氏の”発見”によって10万年単位でどんどん遡っていたわが国の旧石器時代は一気にその依るべき根拠を失い瓦解し、日本史の教科書や大学の入学試験などに大きな影響を及ぼしました。
藤村氏は、その後かなり辛い生活を送ったようで、現在では福島県の南相馬市に居住しているようです。事件の発覚当時、氏は
「功名心から捏造を始めたものの、「神の手」などともてはやされるようになり、プレッシャーから捏造を続けてしまった…」
と語っていたそうです。
考古学会は、この事件を深く掘り下げないまま、殆ど藤村氏に責任を負わせて事件の幕引きをしましたが、中にはそうした結果を疑問視する声もあります。「黒歴史」とか「闇」といって済まされる問題でもなく、学会自体にもそうした功名心に溺れる傾向があった事は伺いしれます。その点を掘り下げた奥村正雄氏著「神の汚れた手」などは、歴史が好きな人間には一読の価値がある書籍だと思います。
小生自身、藤村氏の思考が理解できないという事は無く、それどころか、自分自身にもそうした危うさを覚えるときがあるので、学生時代、あれほど希求した考古学探求の道へ進路を選ばなくて良かったのかもしれないな…と思う様にしています。
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