11月17日 <静御前、吉野で捕らえられる(1185年=文治元)>

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1185年(文治元)のこの日、静御前は源義経の都落ちに随行していましたが、義経主従と別れ、京都へ戻る途中吉野の山中で衆徒に捕らえられました。

これは鎌倉時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

静御前という人物、実は生没年はわかっていません。磯禅師(いそのぜんじ)という平安時代後期の芸能を生業とする女性の娘であることは判っています。静御前もまた「白拍子(しらびょうし)」と呼ばれる平安時代末期〜鎌倉時代に流行した即興的な歌舞を男装で舞う、歌って踊れるマルチな才能を持ったダンサーでありました。

 

その静は源義経の妾でした。

 

源義経が1185年(文治元)11月、兄の頼朝に背いて九州行きにも失敗し、京都より逃亡して吉野に隠れていた際、静は随行していました。義経は静に金銀を与え雑色男をつけて京都に送らせようとしました。ところが義経主従と別れて静が京都に戻る途中、男たちは金を持ち逃げし、静を雪の吉野山中に置き去りにしてしまったのでした。

同年のこの日、吉野の蔵王堂で捕らえられた静は、京都で北条時政の尋問を受けたのち、翌1186年(文治2)には鎌倉に護送されて、鎌倉でもまた義経の行方について尋問されました。

 

強要されて鶴岡八幡宮の廻廊で歌舞を披露し、頼朝夫妻を感動させた…という有名な話は、その1186年(文治2)4月のことでした。

その時に、静は次のように歌ったのです。

吉野山 嶺の白雪 踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき

(口語訳:吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人(義経)のあとが恋しい)

しづやしづ 賤のをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

(口語訳:(しず)の布を織る麻糸をまるく巻いた苧(お)だまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら)

この歌を聞いて、頼朝は不快に感じましたが、妻の北条政子が、彼ら(義経たち)の過去の身の上に言及してこれを宥(なだ)めたと伝えられています。

同年閏7月には、静は鎌倉で男子を出産しましたが、この子が義経の男子であるがゆえに、その日のうちに殺されてしまいました。

そして同年9月には、静は母親の磯禅師とともに京都に帰り、その後の消息については不明です。

 

この鎌倉にいる間にも、梶原景茂ら御家人が静に言い寄っていますが、これを毅然として退けた…と伝えられています。

 

この静御前は何度となく映像化されており、古くは1938年に山田五十鈴さんが、また1956年には淡島千景さんが演じています。でも、最近では何と言っても2005年の大河ドラマ「義経」での石原さとみさんですよね!

というわけで、画像を無断で借りて参りました。

 

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

今日はここまでです。

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