11月30日 <高平・ルート協定調印(1908年=明治41)>

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109年前のこの日、駐米大使高平小五郎(たかひらこごろう)とアメリカ国務長官エリフ・ルートとの間で日米覚書が調印されました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

高平小五郎は明治期の外交官です。1876年(明治9)に入省し、オランダ・イタリア公使などを経て、1899年(明治32)に外務次官となりました。その翌年の1900年(明治33)には駐米公使となり、日露戦争のあとの講和会議では、当時の外務大臣小村寿太郎とともに全権を務めました。

その際の功績が認められて、帰国後男爵、貴族院議員となりました。

1908年(明治41)には今度は駐米大使となり、同年のこの日、日米関係の緊張緩和のためアメリカの国務長官エリフ・ルートと交渉し高平・ルート協定を締結しました。

 

この協定の目的は

  1. 日米関係の緊張を緩和させる
  2. 日本の在満利益の確保
  3. 日米間の緊張を利用しようとする中国・ドイツの策動を封じる

ことにありました。その協定には

  • 太平洋方面の現状維持(アメリカによるハワイ王国併合とフィリピンに対する管理権の承認、満州における日本の地位の承認)
  • 中国の領土保全
  • 中国の商工業上の機会均等

といったことが規定されましたが、表現が曖昧で解釈に疑義を生じました。

 

内容的には特段突っ込んだものではなく、一般的なものでしたが、日米関係が移民問題などで悪化していた時期に、こうした協定が結ばれたことは、日本への抑止を米国に期待していた中国には失望と打撃を与えるのに十分な効果があったとされています。

 

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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