12月7日 <わが国初のラグビー対外国人戦が行われる(1901年=明治34)>

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116年前のこの日、横浜公園で慶應義塾大学のラグビーのチームは横浜在住の外国人チーム「アスレチックス・クラブ」との試合が行われました。これが、本邦初の対外国人のラグビーの試合でした。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

現在、ラグビーは、野球・サッカーに次ぐ第3位の人気をもつ団体競技です。

その日本への伝来は1870年代にまで遡ります。あの日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)が締結された1854年(嘉永7)から20年後の1874年(明治7)には、イギリスの船員によって横浜でラグビーの試合が行われた記録が残っています。

我が国に於けるラグビーの歴史は慶應義塾大学に赴任した横浜生まれのエドワード・B・クラーク教授とケンブリッジ大学への留学から帰国した田中銀之助によって、1899年(明治32)に慶応の塾生に熱心に指導したことに始まります。このクラーク教授もまたケンブリッジ大学の卒業生で、田中とは同窓生なんですねぇ。

 

Wikipediaにこのクラーク教授の想いに関する記述があるのでご紹介しましょう。

「夏の後や冬の後の日々に屋外で若者がすることが何もないように見えた。冬の野球はまだ行われておらず若者達は時間と素晴しい屋外の天気を無駄にしてぶらぶらしていた」ため、彼の生徒達になにか建設的なことを教えたかった。

(Wikipedia「日本のラグビーユニオン」からの引用)

 

 

 

1901年(明治34)のこの日、横浜公園で慶應義塾大学のチームは横浜在住の外国人チーム「アスレチックス・クラブ」との試合が行われ、35対5で慶応が敗れました。慶應義塾のチームはクラーク教授がFB(フルバックですよ…フェイスブックではありません)をつとめたほかは全員日本人でした。その慶応チームの得点はTB(スリークォーター・バック)の塩田賢二郎が決めたトライによる5点でした。

 

2015年のワールドカップでは、日本チームが活躍したこと、更に再来年の2019年に行われるワールドカップのホスト国でもあることから今後は我が国においてもラグビー人気は一層の盛り上がりを見せそうですねぇ。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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