12月 出来事

12月8日 <北条時宗、円覚寺を創建(1282年=弘安5)>

今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の中の出来事を覗いてみましょう。

 

今日の話に出てくる寺は、「えんがくじ」と読みます。決して「えんかくじ」ではありません。間違えると大変な事に…。実は在るのですよ。「えんかくじ」という寺が。「か」の発音が濁らない円覚寺は、沖縄県にあります。琉球と呼ばれていた時代からあり、創建は1495年です。鎌倉の円覚寺を模して作られた琉球最大の臨済宗の官寺で、首里城の北側に近接していたそうです。主要な建物として竜淵殿・仏殿・獅子窟・御照堂などがありましたが、第2次世界大戦の沖縄戦で破壊され、現在は円覚寺跡です。

 

で…今日の話は、円覚寺(えんがくじ)のことについてです。

 

その前に、鎌倉時代には仏教において、従来とは異なる大きな潮流が生まれたので、先ず、その点について簡単に見渡しておくのが良いと思います。

 

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、政治的動乱があった時期は、社会的にも大きな転換の時期でした。社会の新たな担い手として武士や農民が台頭しましたが、源平の争乱、相次ぐ天変地異(飢饉、地震、暴風雨が発生しています)は、精神的自我にめざめつつあった彼らに重苦しい不安を抱かせたのでした。彼らの心には「末法到来」の意識が刷り込まれたのでした。

 

これに対し、天台宗・真言宗の旧仏教は無力でした。仏教界の腐敗堕落ははなはだしく、大寺院は僧兵を蓄え、俗権を争うばかりでした。また、より根本的な問題として、旧仏教は鎮護国家や貴族たちの現世利益のために仏に祈るのであり、広く民衆の心を救済する、という観点をもたなかったのです。それゆえに、人々は末法の世からの脱却を求め、新しい救いの教えを心から望んだのでした。

 

こうした切実な願いにこたえるために、鎌倉六宗といわれる新仏教が登場しました。これらの諸宗はみな旧仏教から生まれ、末法の世からの救済を目的としていました。禅宗の2宗は別ですが、他の4宗は 救われるために困難な修行は必要ない(易行:いぎょう)と説き、多くの経典のなかからただ一つの教えを選び(選択:せんちゃく)それだけにすがる(専修:せんじゅ)という特徴をもっていました。精神の救いを平易に説くこの新仏教に武士も庶民も競って帰依していったのです。

 

今日の話の円覚寺は、禅宗である臨済宗の寺であるので、もう少し補足します。

 

禅宗は坐禅(ざぜん)することによって人間に内在する仏性(ぶっしょう:仏としての性質)を自覚し、悟りに達しようという「自力(じりき)」の教えです。禅自体は奈良時代に日本に伝えられていましたが、宋で盛んになり、栄西(えいさい)が改めて日本に紹介しました。これが臨済宗です。

 

栄西は備中吉備津宮(びっちゅうきびつのみや)の神主の子で、比叡山で台密を学んだのち、2度にわたって入宋しました。 帰国して京都での布教を試みましたが比叡山の反対にあい、鎌倉に下りました。坐禅を組み、師から与えられた問題(公案:こうあん)を考え抜いて悟りに達する、という厳しい修行方法をとり、これが武士の気風と合致して多くの信者を獲得しました。将軍頼家・北条政子も彼に帰依し、京都に建仁寺が建立されました。栄西の主著は「興禅護国論(こうぜんごこくろん)」で、禅宗が国家に必要なことを説いています。

 

栄西の死後、禅宗は執権北条氏の帰依を受けて発展しました。北条時頼は鎌倉に建長寺(けんちょうじ)を建て、京都から蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を招きました。そして北条時宗は円覚寺を建て、宋ら無学祖元(むがくそげん)を招きました。朝廷が天台宗・真言宗と親密であったのに対し、幕府はこのように禅宗、とくに臨済宗を自己の宗数として位置づけたのでした。

 

こうした、幕府のバックアップを受けて発展した臨済宗の寺、円覚寺は、北条時宗が元寇で亡くなった人々を追善するために建てたもので、1281年(弘安4)に建立が開始され、翌1282年(弘安5)には僧堂ほかが完成し、そして今日、無学祖元が住持として迎え入れられました。

 

北条時宗は無学祖元の禅に傾倒していて、円覚寺は祖元の為に建てたという意味合いもあったようです。1283年(弘安6)には、多くの荘園を寺に寄進し、将軍家の祈祷所としました。

 

先日、林修氏がテレビに出ていて、寺格の話や京都・鎌倉の五山・十刹の制(ござんじっさつのせい)を話しておられたので、それについても触れておきましょう。

 

室町幕府3代将軍足利義満の時代に、寺格の整備が行われ、南宋の官寺の制(かんじのせい)にならって五五山・十刹の制が確立されました。

 

五山の制は、鎌倉時代末期に北条貞時(ほうじょうさだとき)が鎌倉の禅寺に導入したのが最初で、その後、後醍醐天皇や足利直義(あしかがたただよし)らもそれぞれに五山・十刹を定めましたが、義満のときに、南禅寺を五山の上とし、天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺を京都五山、建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺を鎌倉五山とする体制が固まりました。十刹とは五山につぐ官寺のことで、中国では文字通り10寺であしたが、日本では寺数制限がなく、全国各地に10カ寺以上定められました。

 

今日はここまでです。

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