12月13日 <哲学館事件が発生(1902年=明治35)>

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115年前のこの日、文部省は、哲学館{井上円了設立、現・東洋大学)の中島徳蔵講師の教授方法に問題があるとして、同校卒業生への教員免許資格の認可を取り消しました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

この哲学館事件を一文で表現すると以下の様になります。

「学問・思想および教育の自由に関わる弾圧事件」

 

井上円了が1887年(明治20)、東京の本郷に設立した哲学館(現・東洋大学)は、1899年(明治32)から中学校・師範学校教員免許授与の資格を認められ、以後3年の過程を修了した最初の学生の卒業試験を1902年(明治35)10月に行いました。

その際、規定によって文部省視学官も隅本有尚・隅本繁吉が臨監したのですが、ムーアヘッド著、桑木厳翼補訳「倫理学」によって講義した中島徳蔵講師の試験問題の1つ、

「動機善にして悪なる行為ありや(動機が善でも悪となる行為はあるか)」

への回答のなかに動機が善であれば弑逆も認められるか…と受け取れる文章

「結果だけをみて善悪を判断してはいけない。そうしなければ、自由のための弑逆も罪となってしまう」

があり、国体上軽視しえないとして、教授方法を問題にしました。

 

文部省は井上円了に詳細な報告を要請、その時外遊していた井上と2、3の交渉ののち、1902年(明治35)のこの日付で哲学館の免許授与資格を以下の様な理由で取り消しました。

「哲学館の罪は其閉鎖とも申すべき所なれども、予ねて同館の内情をも察するが故に認可取消の命令に留めおくものなり」

そして、講師の中島徳蔵も哲学館と東京高等工業学校とから辞職せざるをえなくなりました。

翌1903年(明治36)1月、中島は、『読売新聞』などの都下新聞各紙に雑誌「丁酉倫理(ていゆうりんり)」で当局の不当を批判し、また世論も沸騰。新聞や雑誌は文部省の私学への過酷な処置を非難するものが多かったそうです。

学者間にも倫理学説をめぐって論議が行われ、また「倫理学」の著者でバーミンガム大学教授ムーアヘッドも英国から弁明書を寄せました。当時の倫理学界の中心だった丁酉倫理会の主要会員が連名で1903年(明治36)3月、「ム氏の動機説を教育上危険と認めず」との意見を表明したので、論議は収束の方向へと向かっていった。

 

しかしながら、哲学館事件は、学問の自由・私学の独立について一石を投じた出来事でありました。

なお、哲学館は失った免許授与資格を、1907年(明治40)に回復しました。

 

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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