12月18日 <日本の国際連合加盟が実現(1956年=昭和31)>

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今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の中の出来事を覗いてみましょう。

 

国際連合安全保障理事会による全会一致の勧告を受けて、1956年(昭和31)の今日、その日の国連総会は全会一致で日本の国際連合への加盟を可決しました。1933年(昭和8)3月の国際連盟脱退以来、実に23年ぶりの国際社会へに復帰が実現しました。

 

それまで、ソ連が日本の国際連合への加盟を拒否していたのでしたが、その反対をソ連が取り下げた経緯があるのです。

 

1953年(昭和28)3月にスターリンが死去したこともあり、ソ連国内に対日本に関して一定の雪解けムードが生じていました。また、鳩山一郎内閣がアメリカに対して一定の距離をおいた自主外交路線をとったことも、ソ連のからは好感を持って見られていました。そうした背景のもとで、1956年(昭和31)年10月19日、鳩山は、モスクワで日ソ国交回復に関する共同宣言(いわゆる日ソ共同宣言)に調印したのでした。平和条約の調印にはならず共同宣言となったのは、日本側が国後島(くなしりとう)・択捉島(えとろふとう)を含めた北方4島返還を求めたのに対し、ソ連側が国後島・択捉島はソ連の領土として決着済みであるとの態度を崩さなかったからです。

 

日ソ共同宣言の内容は

  1. 日ソ間の戦争状態の終結と国交の回復
  2. 日本の国際連合加盟をソ連が支持すること
  3. 日本に対する賠償請求の放棄
  4. 平和条約締結後に、歯舞群島(はぼまいぐんとう)・色丹島(しこたんとう)とを返還すること

の4点にまとめられます。しかし、1960年(昭和35)に日米新安保条約が調印されると、ソ連は米軍の日本からの撤退と日ソ平和条約調印とのひきかえに歯舞群島・色丹島を返還してもよいと通告してきました。ところが、その後も日本とソ連(ロシア)との間では、いまだ平和条約の締結はなされていません。このように、共同宣言というかたちで日本とソ連が合意に達したことで、それまで日本の国連加盟を拒否していたソ連は反対をとり下げ、その結果、1956年の日本の国連加盟が実現したのでした。

 

今日はここまでです。

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