今日という日はどんな日でしょうか?
日本史の中の出来事を覗いてみましょう。
1926年(大正15)の今日、大正天皇が崩御なさいました。それに伴い摂政裕仁親王(ひろひとしんのう)が践祚(せんそ:天皇の地位を受け継ぐこと)され、直ちに改元の詔書を公布し、元号は昭和になりました。そして、新元号「昭和」が官報号外で発布されました。すなわち、1926年の今日は、大正15年の最後の日でもあり、昭和元年の最初の日でもあるのです。
以下に引用するのは、その時の改元の詔です。
朕皇祖皇宗ノ威靈ニ賴リ大統ヲ承ケ萬機ヲ總フ茲ニ定制ニ遵ヒ元號ヲ建テ大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト爲ス(以下略)
(Wikipedia「昭和」から引用)
この昭和の元号は、「昭和」は、四書五経の一つ書経堯典(しょきょうぎょうてん)の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)からきており、漢学者である吉田増蔵の考案とされています。
この元号が発表されるに当たり、新聞各社が新元号スクープ競争をやっており、大正天皇が崩御されたのが午前1時25分で、なおこの際、東京日日新聞が午前4時に発行した長官で「新元号は光文」と報道したのです。この様にスクープ競争で勝ったかに見えた東京日日新聞でしたが、同日午前11時に宮内省から発表された元号は「昭和」でした。この誤報は光文事件と呼ばれています。
この誤報については、
「もとより『光文』は最終候補に残っていなかったので、報道は完全に新聞社側の誤報である」
「『光文』とスクープされてしまったので、急遽『昭和』に変更した」
という説があり、真相はわかっていません。
光文事件では大失態をやらかした東京日日新聞でしたが、その後身は現在の毎日新聞です。なお、昭和から平成へと改元された1989年(昭和64)1月7日の夕刊で毎日新聞のみが「平成」と掲載し、毎日新聞の社史では
「見事スクープ、63年ぶり雪辱果たす」
と記載されているそうです。
今日はここまでです。
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