12月30日 <潜水空母「イ400型潜水艦」が完成(1944年=昭和19)>

スポンサーリンク

73年前のこの日、海軍は潜水艦と航空母艦との機能を併せ持った大型潜水艦「イ400」を竣工させました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
広告


スポンサーリンク
スポンサーリンク

1.解説

 

1944年(昭和19)のこの日、海軍が完成させた潜水艦は、当時の米軍も驚くような性能を持っていました。

その名は「伊四百型潜水艦」と呼ばれ、特殊攻撃機「晴嵐」を3機搭載できたことから潜水空母とも呼ばれました。その航続距離は7万kmで、日本から地球上のどこへでも出掛けて行って攻撃を行い、そのまま日本へ戻れるとされていました。また、排水量は3530トンあり、原子力潜水艦を除く、いわゆる通常動力型潜水艦としては、2012年に竣工した中国海軍の032型潜水艦(排水量3,797トン)に抜かれるまでは世界最大の潜水艦でした。

 

<イ400型潜水艦の勇姿>

 

同型の潜水艦(イ401、イ402)と合わせて3隻が竣工しましたが、一度も洗浄で使用されることなく終戦を迎えた不遇の潜水艦でありました。

この潜水艦の開発&建造は秘密裏に行われたので、連合国側は日本の降伏までその存在すら知りませんでした。終戦後、この艦は米軍に接収されますが、その際の話がWikipediaに詳しく書かれているので以下に引用します。(小生は戦績無く終戦を迎えたところまでしか知らないのです。)

 

終戦直後にアメリカ軍が接収する際、その大きさにアメリカ軍士官が驚愕したという逸話が残っている。アメリカ軍による調査の後、自軍で使用することも検討していたが、ソビエトからの見聞の要請があった直後、ハワイ沖で魚雷によって海没処分となった。ソ連への情報漏洩を恐れたとされる。処分後、その詳しい位置は記録されていなかったが、アメリカの調査家による10年来の海底調査により、2005年3月に伊四百一が、2013年8月に伊四百が、2015年8月に伊四百二が海底から発見された。

米海洋大気局の専門家によれば、伊四百型潜水艦はそれまで対艦兵器としか見なされていなかった潜水艦の用途を一変させ、第二次大戦後の潜水艦の設計・運用姿勢に大きな影響を与えた結果、核の時代の弾道ミサイル発射能力を持った米軍潜水艦に行き着いたという。実際、戦後に米軍が浮上後の潜水艦からパルスジェットミサイルの発射実験を行った潜水艦が酷似した形をしていた。

(Wikipedia「伊四百型潜水艦」から引用)

 

このイ400型は、その後の潜水艦の設計思想に大きな影響を与える名鑑の一つだったんですねぇ。

 

それと、このイ400に搭載された攻撃機の「晴嵐」、その実物がスミソニアン航空宇宙博物館に保存されているそうです。お近くにお寄りの際は、訪れられてみてはいかがでしょうか。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

  • 2016年記事:

昨年は記事作成をサボっていました。

今日はここまでです。

広告



こちらのリンクからは他の方のblogをご覧頂けます。日本史に関する様々な情報満載ですよ。一度だまされたと思ってポチッ!とな…とされては如何ですか?
↓↓↓
スポンサーリンク
スポンサーリンク
12月出来事
スポンサーリンク
シェアする
wpmasterをフォローする

コメント

Translate »
error: Content is protected !!