12月31日 <銭貨が流通停止となる(1953年=昭和28)>

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64年前のこの日、50銭以下の銭貨がその日限りで流通停止となりました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

第2次世界大戦以前(戦中もふくめ)は、銭という単位の貨幣が通用し、またその少額通貨が使える場面が日常生活の中にありましたが、戦後の急激なインフレで終戦後8年でまったく不要になってしまっていたのです。物価のデータを調べたのですが、1953年の適当なデータが見当たらなかったので、1950年のデータを参考値として挙げておきますね。

<戦後の物価の推移>

  • 白米(1升):53銭 → 60円
  • 卵(1個):29銭 → 15円
  • 都電:10銭 → 5円
  • はがき:5銭 → 2円
  • 公衆浴場:20銭 → 10円
  • 鉛筆:20銭 → 10円
  • マッチ:15銭 → 2円
  • 電話(無制限):10銭 → 1円
  • 電気(従量1kw):20銭 → 2.11円

(注)白米・卵・マッチなどのデータは公定価格で、闇市ではもっと高額で取引されていました。

 

そこで、1953年(昭和28)7月に「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」が制定され、小額銭貨(銭・厘単位(1円未満)の全ての通貨ならびに1円黄銅貨)の、1954年以降の通用が禁止されました。

1953年(昭和28)のこの日を最後に、1円未満(銭や厘)の補助貨幣・小額政府紙幣・小額日本銀行券、および1円以下の臨時補助貨幣(1円黄銅貨を含む)の使用が禁止されたのでした。とくに1円黄銅貨は、額面に対して金属価格が不釣り合いに高くなっていたことから廃止対象に含まれたそうです。このため、1955年(昭和30)に1円アルミニウム貨が発行されるまでの間、最低額面の通貨は日本銀行券の一円紙幣のみとなったのでした。

逆の側面からみると、江戸時代に鋳造された寛永通宝や文久永宝なども、この日までは法的に効力を持ち、通用していた、ということなんですねぇ。

 

廃貨となったこれらの小額通貨は、翌1954年(昭和29)1月4日〜同年6月30日の間、回収され引き換えられました。持ち込まれた少額銭貨の合計金額に1円未満の端数が生じた場合は50銭以上1円未満については1円と引き換えて貰えました。

大蔵省の集計では、1953年(昭和28)末時点の推定流通額10億6,000万円に対し、実際に回収されたのは1億1,000万円ほどでした。残りは、古銭として私蔵または市中に出回っているということです。また引換え期限である6月30日以降に引換えられずに未回収残高となった小額紙幣は、小額紙幣発行残高より除去され、その除去された金額を政府の歳入に受け入れるものとされました。

 

ちなみに、「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」は1988年(昭和63)4月1日「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」の施行によって廃止となっています。新法において銭と厘は計算単位としての定義のみが定められ、1円未満の通貨の規定は設けられなくなっています。現時点では、1円未満の有効な法定通貨は存在しません。

以下に、この「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」、そして「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」の条文が見られるサイトへのリンクを設けておきますね。興味のある方はご覧下さい。

 

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

  • 2016年記事:

昨年は記事作成をサボっていました。

今日はここまでです。

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