2月8日 <画家ワーグマン他界(1891年=明治24)>

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1891年(明治24)のこの日、幕末から明治初年にかけて「ポンチ絵」を流行させた英国人画家のチャールズ・ワーグマンが住み慣れた横浜で世を去りました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

我が国の西洋画の発展に大きな役割を果たした外国人の一人として、本日の記事のチャールズ・ワーグマンは忘れてはならない存在です。高橋由一(たかはしゆいち)や五姓田義松(ごせだよしまつ)らがワーグマンに師事し、その後、写実的画風で日本の近代洋画の開拓者となっていったのです。

さて、そのチャールズ・ワーグマンですが、生粋のロンドンっ子で1832年生まれです。

1857年(安政4)、ワーグマンは「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」の特派員兼挿絵画家として東洋に派遣され、その後1861年4月に日本に来訪しています。その後、長崎〜江戸まで、イギリス公使オールコックの一行に伴って陸路を通り旅行するのですが、その途中に日本史上のある事件に遭遇します。

 

5月28日 <東禅寺の英仮公使館を襲撃・第一次東禅寺事件(1861年=文久元)>

江戸高輪の東禅寺に置かれていた英国仮公使館にオールコックの一行が帰着したその夜、尊皇攘夷派の水戸藩士14人が夜襲を掛けて来たのでした。

ワーグマンはこの時、縁の下に避難しながら事件の一部始終を記録していました。残されたスケッチが以下の画像です。例によってWikipediaから無断借用してきたもので、画像や下の青文字部にWikipediaの大きな画像へのリンクが張ってあります。

<第一次東禅寺事件。ワーグマン画>

こうした写実的な画風で幕末激動期の動向を海外に紹介しただけでなく、油彩・水彩で日本の風俗や風景を描いています。

次の画像はWikimedia Commonsにある明治初期の長野県の和田峠の風景です。

<Village street in Wada-Toge, Japan, 1876>

 

ワーグマンは、1861年(文久元)に横浜に居を構え、翌1862年(文久2)には居留外国人向けの風刺漫画の月刊誌「ジャパン・パンチ」を創刊しています。これは、横浜居留地の人々の暮らしや日本政府への批判、同業の英字新聞への攻撃などを風刺漫画と文章で描いたもので、1887年(明治20)まで発刊されました。

以下の画像は、その「ジャパン・パンチ」の表紙で、上が1878年(明治11)7月号で、下が1883年(明治16)3月号です。

<「ジャパン・パンチ」1878年7月号表紙>

<「ジャパン・パンチ」1883年4月号表紙>

 

ワーグマンは、1863年(文久3)には日本人女性小沢カネと結婚し、活動を続けましたが、1891年(明治24)のこの日、住み慣れた横浜で世を去り、横浜外人墓地に葬られました。

彼が遺した報道画・漫画・スケッチ・水彩画・油彩画は幕末〜明治維新史の貴重な証言であり、歴史記録として今なお色褪せない高い価値を持っています。

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。

今日はここまでです。

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