3月12日 <日曜日を休日と定める(1876年=明治9)>

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1876年(明治9)のこの日、4月以降の官庁の休日を日曜日とし、土曜日の執務は正午までとするとする太政官布告が出されました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

明治初期の官庁では、公休日は五十日(ごとおび)の翌日と朔(ついたち:月の初日)を公休日としていました。これを一六日(いちろくび)と呼びます。すなわち毎月1日・6日・11日・16日・21日・26日の6日間が公休日でした。

 

ところが、この官公庁の公休日にも文明開化(欧化政策)の波が押し寄せてきました。西洋のキリスト教圏では一般に日曜日は安息日として休日でした。そこで日本もこの日曜日を休みと定めましたが、それ以前は一六日の5日周期での休日としていたため、日曜日を休日とする事で、かえって労働時間は増加してしまったのでした。そしてその際、日曜日のみでなく、土曜日の執務は正午までとも定めました。

 

オランダ語で「日曜日」を表す語 zondagと書き、読みは「ゾンダーハ」に近いそうです。それが江戸時代末期に長崎出島より伝わり、ドンタクと訛って休日や休業を意味するようになりました。そこから、日曜日のことをかつてはドンタクと呼ぶことがあり、土曜日は半日休みだから「半ドン」と呼ぶ様になりました。

 

余談ですが、土曜日の「半ドン」に対して、日曜日を「丸ドン」と呼ぶ人も居たそうです。この言い方からすれば、プレミアムフライデーはさしずめ「金ドン!(欽ドン!ではない)」と読んでも良いかもしれません。

 

もう一つ余談です。半分休日だから「半ドン」と書きましたが、Wikipediaにはそれに対する異説が書かれており、非常に興味深いので以下に引用します。小生は2番目のものを信じていました。

異説として

  • 富山藩では正午に音の花火を上げて時を知らせていたことから半ドンと言われるようになった(富山エリア)。
  • 明治時代より太平洋戦争中にかけ、正午に午砲(空砲)を撃つ地域があり、半日経った時間に「ドン」と撃つことから「半ドン」と呼ばれるようになった。
  • 半分休みの土曜日という意味で「半土」という言葉が生まれ、それが転じて「半ドン」と言われるようになった。

(Wikipedia「半ドン」から引用)

 

「ドンタク」も「半ドン」も現在では本来の休日を指す言葉としては使われなくなりましたが、忘れては行けないのが、福岡県福岡市で毎年5月に開かれる「博多どんたく港まつり」です。この語源も、この休日を示すオランダ語の zondagなんですよ。

 

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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