3月16日 <娯楽の殿堂、日劇ミュージックホール開場(1952年=昭和27)>

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1952年(昭和27)のこの日、東京・有楽町の日劇に「日劇ミュージックホール」が開場しました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

その昔、東京都の有楽町には日本劇場(通称:日劇)という劇場がありました。その5階には小劇場があり、「日劇小劇場」とよばれていました。

 

東宝ではこの小劇場を改装する計画を立て、「日劇ミュージックホール」と改称して再発足させて1952年(昭和27)年のこの日、披露公演を行ないました。

 

その時のキャッチフレーズは「東京のフォーリー・べルジェール」でした。フォリー・ベルジェール (Folies Bergère)は、フランスのパリのナイトシーンを飾った伝説的なミュージック・ホールで

 

披露公演のプログラムは、越路吹雪・三上孝子・花柳昌子ら日本人トップスターに加え、パリのフォーリー・べルジュェールの踊り子達なども招かれました。その他に、二科会の岡本太郎画伯が特別出演し、舞台上で「ジャズの誕生」というタイトルの即興画に筆を振るったそうです。

 

それ以降も「女性が見ても上品なエロチズムの探求」というスタンスでの興行を行い数多くの優秀なダンサーたちや、コメディアンをそれぞれ輩出しました。また、あの三島由紀夫も脚本を手がけていました。日劇ミュージックホールの一般公演は、1日3回公演で、480席の自由定員制でした。入場料は500円ほどで、これは、当時の封切り映画館が120円だったので、その4倍とかなり高額でしたが、日劇側は、

「高尚で 豪華な寄席にはふさわしい値段」

と強気の価格設定で押し通しました。

 

強気の価格だなぁ、と今更ながら感心させられるのが同年9月から、映画フアンには伝説的な作品とされていた『風と共 に去りぬ』が上映の価格です。なんと600円!当時の東宝の国内映画封切り興行の価格の5倍でした。その入場料にもかかわらず、観客がわんさかつめかけたのです。現在の封切り興行の価格が1,800円なので、その5倍なら9,000円です!

 

第二次世界大戦後の国民が困窮していた時期も終わりを告げ、良いものであれば高くても金は出す…という時代に変わりつつある事を印象づける風物でした。

 

その一世を風靡した日劇ミュージックホールですが、1981年(昭和56)周辺の再開発により隣接する朝日新聞東京本社の旧社屋と共に日劇が解体されると興行場所を東京宝塚劇場に移し1984年(昭和59)閉場しました。

 

日劇の跡地には有楽町センタービル(有楽町マリオン)が建てられ、現在、「日劇」の名称はそのセンタービル内にある映画館「TOHOシネマズ日劇に引き継がれています。

 

その伝統ある名称も、2018年、有楽町1丁目の再開発計画「新日比谷プロジェクト」(仮称)の大規模複合ビル内にシネマコンプレックス「TOHOシネマズ日比谷(仮称)」が開業するのにあわせて閉館し無くなる予定です。日本劇場が有楽町の地に出来たのが1933年(昭和8)でした。その歴史が85年目の2018年に終わりを告げるのです。

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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