1754年(宝暦4)のこの日、久留米藩で新たに賦課された人別銀に反発した百姓一揆が起きました。
これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
筑後国久留米藩では、1754年(宝暦4)2月に、財政難を打開するために8歳以上の男女1人につき銀6匁(もんめ)を徴集する人別銀を新設しました。
農民はこれに反発し、同年のこのひ百姓一揆を起こしました。一揆は藩領各地で打ち壊しをともなう強訴がひろがり、同月27日には大庄屋ら66軒が打ち壊され、藩には31通もの訴状が出されました。
百姓たちの要求は
- 人別銀反対
- 年貢減免
- 商品取引の自由化
- 大庄屋&庄屋の罷免
でした。この48,000人もの百姓が決起したこの大一揆には、藩も人別銀の撤回ほか要求をおおむね認めざるを得ませんでした。その後、37人が死罪に処されましたが、一揆そのものは百姓側の勝利に終わりました。
久留米藩では大きな一揆は江戸時代を通じて、この宝暦の大一揆を含めて以下の大きな百姓一揆が3回あり
- 1728年(亨保13)
- 1754年(宝暦4)←今回記事
- 1832年(天保3)
ご多分に漏れず、藩政は波乱含みだったみたいです。
2.他の年、この日の記事
他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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