3月28日 <刀を腰に挿してはダメ! 廃刀令が布告される(1876年=明治9)>

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1876年(明治9)のこの日、政府は、礼服用や軍人・警察官などの制服用のほかは、刀剣を腰に挿して歩いてはならないと、廃刀令を布告しました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

この廃刀令、帯刀禁止令とも言われていますが、そのちゃんとした名称があります。とても長ったらしいものなので、略称で呼ばれることが多いのです。その正式名称は

大禮服竝ニ軍人警察官吏等制服著用ノ外帶刀禁止(大礼服並ニ軍人警察官吏等制服著用ノ外帯刀禁止:たいれいふくならびにぐんじんけいさつかんりとうせいふくちゃくようのほかたいとうきんし)」

というもので、1876年(明治9)のこの日に明治9年太政官布告第38号として発布されたものです。その内容は以下の様なものです。

 

自今大禮服著用竝ニ軍人及ヒ警察官吏等制規アル服著用ノ節ヲ除クノ外帶刀被禁候條此旨布吿候事

但違反ノ者ハ其刀可取上事

(Wikisource「大礼服並ニ軍人警察官吏等制服著用ノ外帯刀禁止」から引用)

 

これは、陸軍卿の山県有朋(や、あがたありとも)の建議によって出され、以後大礼服および軍人・警察官などの制服着用時以外の帯刀が禁じられました。山県有朋の建議についてWikipediaに記事が合ったので引用しますね。

「従来帯びていたのは倒敵護身を目的としたが、今や民皆兵の令が敷かれ、巡査の制が設けられ、個人が刀を佩びる必要は認められないので、速やかに廃刀の令を出して武士の虚号と殺伐の余風を除かれたい」

(Wikipedia「廃刀令」から引用)

 

1870年(明治3)に庶民の帯刀禁止令が出され、翌年には散髪・脱刀が勝手次第とされましたが、帯刀は士族身分の象徴として保守的な士族を中心に続けられていました。

1873年(明治6)に出された、国民皆兵をうたった徴兵令によって士族は職を失い、さらに帯刀禁止によって精神的な支柱をも失うことになったのでした。

そうした「刀は武士の魂」だとする人は、なおも刀を袋に入れたり、手に下げたり、肩に担いだり、腰に木刀を挿して歩いたり…と反発したそうです。

また、廃刀令は士族の誇りを傷つけるものとして、神風連の乱勃発の直接の引き金ともなりました。

 

その後、1946年(昭和21)に施行された銃砲等所持禁止令によって刀剣類の所持が禁止されたことで、この廃刀令は実効性が無くってしまいました。そして、1954年(昭和29)7月に内閣及び総理府関係法令の整理に関する法律により本太政官布告を廃止しました。

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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