4月26日 <三重小塔100万基を十大寺に分置、百万塔陀羅尼(770年=宝亀元)>

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770年(宝亀元)のこの日、称徳天皇は三重小塔100万基を薬師寺・興福寺・法隆寺などの当時の十大寺に各10万基ずつ奉納しました。

これは奈良時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

764年(天平宝字8)の恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の後、称徳天皇は戦死者の供養と鎮護国家を祈念するために100万基の木製の三重小塔を造ることを発願しました。

三重小塔は、檜を中国より伝来したロクロを使用して削ったもので、塔身部と相輪部とからで構成され、底部などに工房名・工人名・制作日の墨書銘が記され、全体を白土で彩色しています。下の画像は例の如くWikipediaにあったものを無断借用してきました。画像またはその下の青い文字をクリックするとWikipediaにある大きな画像を確認出来ます。

<三重小塔>

この塔の中には、仏舎利のかわりに紙に印刷した四種の陀羅尼経(だらにきょう)一巻が納置されています。

陀羅尼は、100万部も作らなければならなかったので、銅版か木版か説が分かれていますが、年代の確実な現存印刷物では世界最古のものです。版を凸状に彫り、幅4.5cm、長さ15cm~50cmの紙に印刷したのですが、紙を版の上に置いて印刷したか下に置いたかは見解が分かれています。下の画像はこれまたWikipediaにあったものを無断借用してきました。画像またはその下の青い文字をクリックするとWikipediaにある大きな画像を確認出来ます。

<小塔に納置した陀羅尼経>

 

6年の歳月を掛けて作られた陀羅尼経と小塔100万基は、770年(宝亀元)のこの日、10万基ずつ以下のの10大寺に奉納されました。

  • 大安寺
  • 元興寺
  • 法隆寺
  • 東大寺
  • 西大寺
  • 興福寺
  • 薬師寺
  • 四天王寺
  • 川原寺
  • 崇福寺

 

これらの塔はその殆どが焼失、散逸してしまい、2現在は法隆寺に4万5000基が伝存しているほかは、博物館や個人に数基所蔵されているのみです。

この事業を発願した称徳天皇は、同年8月4日に崩御されています。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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