4月27日 <「伊賀越道中双六」の初演(1783年=天明3)>

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1783年(天明3)のこの日、近松半二・近松加作の合作による人形浄瑠璃「伊賀越道中双六」が大坂の竹本座で初演されました。

これは時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

日本三大仇討と称される仇討ちがあります。それは以下の3つです。

  • 曾我兄弟の仇討ち
  • 赤穂浪士の討ち入り
  • 伊賀越の仇討ち

1つ目の曾我兄弟の仇討ちは、1193年(建久4)5月28日、曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に討ちとった、という出来事です。

2つ目の赤穂浪士の討ち入りは、1702年(元禄15)12月14日、吉良邸に侵入し、主君浅野内匠頭長矩の仇である吉良上野介を討ちとった、という出来事です。

3つ目の伊賀越の仇討ちは、鍵屋の辻の決闘とも呼ばれ、1634年(寛永11)11月7日に備前国岡山藩士の渡辺数馬が姉婿の荒木又右衛門の助太刀を得て、数馬の弟の仇である同藩士河合又五郎を伊賀国上野城下のの鍵屋の辻(現・三重県伊賀市小田町)で討った出来事です。

 

これらの仇討ちは、いずれも人形浄瑠璃・歌舞伎・講談・映画などの題材にされています。

本日の記事も、3つ目の伊賀越の仇討ちもまた、伊賀越物と総称される一連の作品の代表的なものです。

「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」は人形浄瑠璃の作品で時代物と言われるカテゴリーに属する作品で、

上杉家の家老和田行家の子志津馬が姉婿唐木政右衛門の助太刀を得て、父の仇である沢井股五郎を伊賀上野で討つ

までの数々のエピソードを描いています。

登場人物たちの名前までそっくりですねぇ

  • 渡辺数馬 → 和田志津馬
  • 荒木又右衛門 → 唐木政右衛門
  • 河合又五郎 → 沢井股五郎

近松半二・近松加作の合作による10段からなるこの作品は、1783年(天明3)のこの日、大坂竹本座で初演されました。

6段目の「沼津」と8段目の「岡崎」とがとくに有名で、現在でもよく上演される演目です。また、歌舞伎では、1783年(天明3)9月に大阪の嵐座で初演され、こちらもまた現在でもよく上演されます。

 

ちなみに、伊賀越道中というのは、伊勢国関あるいは月本から奈良に至るまでの道です。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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