5月12日 <高峰譲吉に初の学士院賞(1912年=明治45)>

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1912年(明治45)のこの日、その前年、新たに設けられた帝国学士院賞を高峰譲吉が受賞しました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

明治時代の初め、政府は盛んに外国より講師を招聘し、その指導のもと、様々な分野での科学的研究が行われました。その結果、1890年代以降には、次第に日本人の学者による独創的な研究も進められるようになりました。

 

そうした研究を支援するために、1879年(明治12)に明治政府は欧米のアカデミーにならう機関として、学術上の功績の大きい学者を優遇するための学界最高の栄誉機関である東京学士会が作られました。この東京学士会は、文部省所管の特別機関で学術奨励のための事業を行うことを目的としています。

1906年(明治39)には、組織規模を拡充して帝国学士院に改組されました。その帝国学士院は、1911年(明治44)に賞典資金の下賜をうけ、帝国学士院賞と恩賜賞とを設けることになりました。その賞が創設されると、民間からも多額の寄付があったそうです。

 

第1回の恩賜賞を木村栄(きむらひさし)が受賞したのに続き、1912年(明治45)のこの日、栄えある第1回の帝国学士院賞を受賞したのは、1894年(明治27)に麹菌から強力消化剤タカヂアスターゼ抽出に成功した高峰譲吉博士でした。この学士院賞については、1900年(明治33)の世界初のホルモンの結晶化であるアドレナリンの分離精製の業績に対しての受賞でした。

 

帝国学士院は、第2次世界大戦後、1947年〈昭和22)に日本学士院と改称し、さらに1949年(昭和24)に新たに発足した日本学術会議に付置される栄誉機関となり、機能は大幅に制約されました。その後、1956年(昭和31)に同会議から分離独立し現在に至っています。

現在、日本学士院は国際学士院連合に加盟し、国際協力事業を遂行するとともに、各国アカデミーとの個別の学術交流を行っています。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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