5月20日 <成田空港開港(1978年=昭和53)>

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1978年(昭和53)のこの日、東京の新しい玄関口として成田空港(当時の名称は新東京国際空港)が開港しました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

1978年(昭和53)5月20日、成田空港(成田国際空港。開港当時の名称は新東京国際空港)が、1966年(昭和41)7月4日の閣議決定以来、12年の歳月を掛けようやく開港しました。

 

1960年代に入ると、旅客機のジェット化&大型化による航空機の重要性は高まって行きました。国際輸送の増大に対応する必要性から、日本の首都・東京の海外に対する玄関としての羽田空港の発着能力の向上は待ったなしの課題でした。

 

当初は羽田空港の拡張による対応が検討されましたが、その後見込まれる航空輸送の需要には対応しきれないと判断されたため、新たな東京国際空港の建設予定地として最終的に決定されたのが、千葉県成田市三里塚でした。

 

用地の買収は、反対派の活動によって困難を極めまいた。また左翼系のグループも反対派支援に乗り出し、実力行使を伴う活動によって反対派、建設派(機動隊や警察)ともに死者が出る闘争が繰り広げられたのです。

 

 

反対派の抵抗も虚しく、開港の準備工事は進められ、当初、政府は1978年(昭和53)3月20日の開港を予定していましたが、過激派による管制室破壊事件によって、延期を余儀なくされていました。

 

そして、迎えたこの日は、1万人を越える機動隊の警備のなかで、開港式が行われました。

 

現在は、羽田空港の大幅な拡張工事や発着枠の増大により、日本第1位の空港としての座からは滑り落ちでしまいましたが、東京の第2の玄関として、毎年多くの旅客や貨物が成田空港を通って日本に入って来ています。

 

空港としてのデータ

  • 航空機発着回数:23万2千回…(日本第2位。1位は羽田空港の38万4千回)
  • 航空旅客数:3,739万人…(日本第2位。1位は羽田空港の6,670万人)
  • 航空貨物取扱量:203.6万トン…(日本第1位。2位は羽田空港の84.4万トン)
  • 空港敷地面積:1090ha…(日本第2位、1位は羽田空港の1,522ha)

 

また、当初は都心からの交通の便も非常に悪く、

「成田は遠い!」

と言われたものですが、現在では日暮里駅〜空港第2ビル駅間が京成スカイライナーにより最速36分で結ばれており、その点は非常に便利になった、と思います。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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