1882年(明治15)のこの日、新橋と日本橋との間に、日本初の馬車鉄道が開通しました。
これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
馬車鉄道?…余りおなじみのない言葉が出てきましたが一体何でしょうか?
馬車鉄道(ばしゃてつどう)とは、鉄道馬車とも言い、馬がレールの上を走る車を引く鉄道の事をいいます。
馬車鉄道は、もと もと蒸気鉄道に先行する輸送手段として、18〜19世紀の西欧社会に登場したものでしたが、わが国へは、明治維新後、蒸気鉄道とほぼ前後して導入されました。
最初の事例は、蒸気鉄道利用者の都市交通機関として、1882年(明治15)6月25日、新橋〜日本橋間で開業した路線で東京馬車鉄道会社が運営していました。
この馬車鉄道の軌間は、新橋〜横浜間鉄道の軌間(3ft6in)より広く(4ft6in)あり、24ないし27人乗りの客車1輌を2頭の馬で引き、御者・車掌各一名が乗務しました。
馬車とくらべて速いし、車内はきれい、そのうえ乗車賃は安いので人気をよび、開業後の一週間で、乗客は17,062人に及んだと「団々珍聞(まるまるちんぶん)」に書かれています。
このように人気を博したこともあり、東京馬車鉄道会社は事業を拡大していきます。営業路線は、その後程なく日本橋から上野〜浅草〜浅草橋〜日本橋へと延長されて総延長16.1kmの循環線となり、明治36年8月に電化によって市内電車に移行するまで運行を続けました。
所要時間は
- 新橋ー上野広小路 :40分
- 上野庄小路→凌草広小路 :20分
- 淺草広小路—淺草橋 :15分
- 淺草橋—新橋 :33分
運賃は
- 1区2銭
- 新橋ー上野広小路間、新橋ー浅草広小路間:各6銭
でした。
上記したように、その営業は、簡易な設備による安い運賃と安全、定時の運行によって人気を集め、沿線の乗合馬車や人力車を次第に駆逐していきました。1886年(明治19)の乗客数は約600万人、運賃収入は13万円に達しました。
ところで、この東京馬車鉄道会社はその後、都市交通の担い手として営業を続け、現在もその後を継ぐ企業が存在するのですよ。
東京馬車鉄道会社は、1899年(明治32)6月、品川馬車鉄道株式会社を合併して新橋ー品川八ツ山下間の路線を取得し、1902年(明治35)6月には 東京電車鉄道株式会社と改称、1903年(明治36)年8月には品川ー新橋間、翌1904年(明治37)3月には全線の電車運転を開始しました。
そして1906年(明治39)9月には、東京電気鉄道株式会社および東京市街鉄道株式会社と合併して東京鉄道株式会社となり、1911年(明治44)8月、東京市に買収されました。
この都市の中を走る電車…実は路面電車なんですね。1911年に東京市に買収されて、この路面電車は「東京市電」と呼ばれ、さらに1943年(昭和18)の東京都制施行によって「都電」と呼ばれました。
路面電車のルーツが馬車鉄道だったんですねぇ。
Wikipediaによると、現在、この馬車鉄道に乗れる場所があるそうです。
現在の日本では、北海道にある野幌森林公園内の北海道開拓の村や岩手県の小岩井農場内にある「まきば園」で、観光用に復元した馬車鉄道が運行されている。
(Wikipedia「馬車鉄道」から引用)
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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