6月12日 <坂本龍馬、「船中八策」を示す(1867年=慶応3)>

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1867年(慶応3)のこの日、前藩主山内豊信に大政奉還を説くために長崎から京都に向かう船のなかで、土佐藩の坂本龍馬は後藤象二郎に対して新国家体制の骨子を示しました。これが「船中八策」と呼ばれるものです。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

1867年(慶応3)の兵庫開港勅許の前後から雄藩の間では提携議論が急速に活発になっていました。

同年6月、土佐藩も坂本龍馬と後藤象二郎とを、前藩主山内豊信(山内容堂)に大政奉還を建白し、この雄藩提携議論に参加させるために京都に遣わしました。

長崎から京都に向かう藩船の夕顔丸の中で、同年のこの日、竜馬は海援隊員長岡謙吉に筆記させた、新国家体制の骨子案を後藤に示しました。

それは

  1. 大政奉還
  2. 議会開設
  3. 官制刷新
  4. 外国交際
  5. 法典制定
  6. 海軍拡張
  7. 親兵設置
  8. 貨幣整備

の8項目からなり、世に「船中八策」として知られているものです。

Wikipediaにその内容が載っているので、以下に引用しますね。

一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。
一、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事。
一、有材ノ公卿諸侯及ビ天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ官ヲ除クベキ事。
一、外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事。
一、古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事。
一、海軍宜シク拡張スベキ事。
一、御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ事。
一、金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事。
以上八策ハ方今天下ノ形勢ヲ察シ、之ヲ宇内万国ニ徴スルニ、之ヲ捨テ他ニ済時ノ急務アルナシ。苟モ此数策ヲ断行セバ、皇運ヲ挽回シ、国勢ヲ拡張シ、万国ト並行スルモ、亦敢テ難シトセズ。伏テ願クハ公明正大ノ道理ニ基キ、一大英断ヲ以テ天下ト更始一新セン。

(Wikipedia「船中八策」から引用)

 

後藤は雄藩連合に道を開くこの案に賛成しました。

竜馬は、入洛した翌日の同年6月16日にこの「船中八策」を成文化し、6月21日に土佐藩はこれに基づいて大政奉還の方針を固め、6月22日に薩土盟約に結びつく、という大きな変革を押し進めていったのでした。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

昨年は記事作成をサボったので、この項目は無しです。

 

今日はここまでです。

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