6月28日 <富士山、「日本一の山」から陥落。新高山(1897年=明治30)>

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1897年(明治30)のこの日、拓殖務省の告示で、台湾にある「新高山」が日本一の高峰となったことが公示されました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

1894年(明治27)7月に起こった日清戦争は、翌年には日本の勝利で終わり、1895年(明治28)4月、伊藤博文首相・陸奥宗光外相が全権となり、清国全権の李鴻章(りこうしょう)との間で講和条約「下関条約」が調印されました。

この下関条約では、清国は日本に対して

  1. 朝鮮の独立の承認
  2. 台湾・澎湖諸島・遼東半島の割譲
  3. 賠償金2億両(日本円で3億1,000万円)の支払い
  4. 日清通商航海条約の締結と沙市・重慶・蘇州・杭州の開市・開港、租界での治外法権の承認

などを約束しました。その後、ロシア・ドイツ・フランスによる三国干渉が行われますが、今日はそれには触れません。

 

下関条約の結果、日本の領土となった台湾の玉山は3950mあり、日本の富士山(3776m)より174m高いため、明治天皇が「新高山(にいたかやま)」と命名され、これが日本一の高峰となりました。

1897年(明治30)のこの日、その新高山が日本一の高山となったことが拓殖務省で公示されました。

 

拓殖務省そいう官庁、今はありませんね。これは日清戦争後に設置された外地行政を管轄する官庁です。台湾領有にともない、1895年(明治28)台湾事務局が内閣に設置され、その後外地行政の統一が図られることになり、翌1896年(明治29)4月に設置されたのが拓殖務省です。南部局(台湾担当)と北部局(北海道担当)とがおかれました。

しかし、同省を不要とする世論および財政上の理由などから1897年(明治30)9月に廃止されて、南部局の事務については台湾事務局が復活し、北部局の事務は内務省に戻されました。

わずか1年余りだけ存在した官庁だったのですねぇ。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

昨年は記事作成をサボっており、この項は無しです。

 

今日はここまでです。

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