6月6日 <越後屋、上州の絹買い付けに進出(1721年=亨保6)>

スポンサーリンク

1721年(亨保6)のこの日、江戸の呉服商の大店として名高い三井(越後屋)は、「旅買物式目」を定め、上州への絹の買付けに進出しました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
広告


スポンサーリンク
スポンサーリンク

1.解説

 

彩ちゃんと黒猫のPinotとがまたまた売れない漫才をやっています。

Pinot
今日は、越後屋の話なんだにゃ
知ってる、知ってる! 「越後のちりめん問屋の隠居の光右衛門と申します。ハッハッハ〜」ってやつでしょ
Pinot
にゃ…、それは水戸黄門! 身分を隠して越後国にある縮緬問屋の隠居って設定なんだにゃ
Pinot
越後国と越後屋とは違うにゃ…、越後屋は江戸の呉服屋で今の三越の起源ともいえる店なんだにゃ
なぁんだ、そんな話なんだ

 

おやおや、黒猫Pinotは物知りですねぇ。現在は株式会社三越伊勢丹が運営している三越百貨店は、越後屋という屋号の店の創業家である三井家の「三井」から「三」、そして創業時の屋号「越後屋」から「越」をとって合体させたものなのですね。

 

さて、その越後屋の始まりは、三井高利が1673年(延宝元)に江戸本町一丁目に開店した呉服店で、同年に京都室町通二条下ル蛸薬師町に仕入店を開きました。

1687年(貞亨4)には幕府御納戸呉服御用をひきうけて、商売がビッグに成っていきます。

越後屋は、大坂店も開き、越後屋八郎右衛門名前の京都店を本店とし、越後屋八郎右衛門名前の江戸向店と松坂屋八助名前の江戸芝口店、京都西陣の上之店、紅店や勘定場、江戸糸見世を合わせ越後屋ホールディングスとでも言うべき発展を見せるのでした。

 

1721年(亨保6)のこの日、越後屋は、「旅買物式目」を定め、上州への絹の買付けに進出しました。この「旅買物式目」は、絹買付けに出張する手代の代表が出発に際して、当主かあの買付けの指示を守ることを誓約したもので、この日を初回として幕末まで387名の署名が確認されています。

 

こうした越後屋の店舗展開や仕入れは、関東で養蚕・製糸業が盛んになり、西陣織の原料として重視され、それが全国規模の物流として動いていたことを意味しています。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

広告



こちらのリンクからは他の方のblogをご覧頂けます。日本史に関する様々な情報満載ですよ。一度だまされたと思ってポチッ!とな…とされては如何ですか?
↓↓↓
スポンサーリンク
スポンサーリンク
6月出来事
スポンサーリンク
シェアする
wpmasterをフォローする

コメント

Translate »
error: Content is protected !!