7月 出来事

7月28日 <土佐藩執政野中兼山の失脚(1663年=寛文3)>

2018/08/04

1663年(寛文3)のこの日、土佐藩で執政として30年にわたり藩政を担当し、新田開発・殖産興業・土木工事など土佐藩政の基礎を確立した野中兼山が突然奉行職を解任され失脚しました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

野中兼山といえば、受験日本史の世界では南村梅軒(みなみむらばいけん)によって開かれたとされる朱子学の一派「南学(海南学派)」を受け継いだ土佐の谷時中(たにじちゅう)から出た学者として野中兼山や、さらにそののちに垂加神道を興す山崎闇斎(やまざきあんさい)が輩出された…といった形で登場しますが、今回の記事はその野中兼山が土佐藩で藩政を担当していた、という話です。

野中兼山の肖像画がWikipediaにあったので無断借用してきました。なにか見るからに謹厳実直そうな姿ですねぇ。画像やその下の青文字をクリックして頂くとWikipediaの大きな画像が見られます。

<野中兼山肖像画>

(Wikipedia「野中兼山」から借用)

 

さて、野中兼山は生い立ちから不思議なんですよ。父親は野中良明という方なんですけど、その良明は藩主山内一豊の死後、1608年(慶長13)知行高について一豊との約束が履行されていないことを不満として土佐を出て浪人となってしまうのです。1618年(元和4)にその良明が他界すると兼山はその年、分家の野中直継をたよって、母とともに土佐に帰り、そののち直継の養子となったのでした。

1631年(寛永8)、直継とともに兼山は奉行職となり、1636年(寛永13)直継の死後野中家の家督を相続し、父祖の所領長岡郡本山の約6000石を領して奉行職に専任したのでした。それから1663年(寛文3)に失脚するまでの30年ほどの『あいだ、土佐藩政を掌握し、その後の藩政の基礎を築き上げたのです。

とまぁ書くと、子供の頃は苦労があったものの、土佐に戻ってからは大成して立派な人物になった…となりますが、周りの目は違った様です。

その人物像は、

「天性英敏、剛毅な人物で政治・経済の手腕は群を抜いていた」

とされています。

 

藩政を推進していたのは、当初は野中兼山だけではなく小倉少介・三省父子もともに居ました。ところが1654年(承応3)に小倉父子が他界したのちは兼山自身の意思によって独裁体制を確立したのです。

兼山は、もともとは高知城下江ノ口の瑞王寺で禅を学んでいましたが、1636年(寛永13)に小倉三省の紹介により儒学に転じました。その先生が高知の在地学者で海南朱子学(南学)の継承者であった谷時中せした。三省や山崎闇斎とともに学んだ兼山は、南学による封建道徳を施政方針として、領民には封建秩序を強化しました。

その施政による功績は多大で殖産興業や土木事業に以下のような大きな成果を上げています。

  • 蜜蜂の飼育
  • 薬草の栽培
  • 蛤の移殖
  • 港湾の整備
  • 河川の改修
  • 堰の設置
  • 新田開発
  • 郷士の採用
  • 専売制の実施

といったものですが、中でも河川の改修と堰の設置による用水路の施設工事では新田開発につながる重要な功績でした。そしてその新田開発では、新田を知行地(領知)として与えることを約束して長宗我部氏の遺臣を郷士に取り立てたのです。

また、1656年(明暦2)に隣藩宇和島藩との間で起きた起こった国境争論では、兼山は「長宗我部地検帳」をもとに境界論を展開し1659年(万治2)に和解に持ち込んでいます。豪腕だったのですよ。

 

こうした大きな功績を上げてきた兼山でしたが、境界争論と領内開発のために専売制の実施によって資金を得ようとしたので、農民や商人の怨嗟の的となり、それに深尾出羽ら兼山の方針に不満をもつ一部重臣の弾劾によって、1663年(寛文3)のこの日、奉行職を解任されてしまいました。

兼山はその後香美郡中野(土佐山田町)で隠棲生活を送りましたが、同年12月に世を去ったのでした。

 

話はここで終わりではないのです。

 

翌年野中家は改易となり、遺族は幡多郡宿毛(はたぐんすくも)に幽閉されてしまい、苦難の生活を送ります。それは1703年(元禄16)に男系が絶えるまで続き、その40年近くの幽閉ののち一族の女性は高知に帰ることを許されます。

その女性の中に居るのが大原富枝さんの書かれた小説の「婉という女」の主人公でもある四女の婉でした。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

昨年は記事作成をサボっており、この項は無しです。

 

今日はここまでです。

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