1943年(昭和18)のこの日、第2次世界大戦の遂行のため戦時体制に移行する必要があり、首都東京の行政一元化・効率化を目的として東京府・東京市を廃止し東京都制が施行されました。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
彩ちゃんが黒猫のPinotにおかしな事を言っているみたいですよ。
たしかに、「京」とだけ書いて「都」にチェックした画像はSNSで見かけましたよね…
さて、東京は1868年(明治元)7月に旧町奉行所の支配地内を行政区域とする東京府として解説されました。1872年(明治5)5月には現行23区の範囲に拡大。その後、1878年(明治11)2月に伊豆七島、1880年(明治13)10月に小笠原諸島、1893年(明治16)4月に西多摩・南多摩・北多摩三郡が編入され、その境界をほぼ確定させました。
東京府が存続したのは1868年(明治元)7月〜1943年(昭和18)6月の間存在しましたが、それと一部重なる形で市制・1889年(明治22)5月〜1943年(昭和18)6月の期間、東京府管下におかれた東京市という市がありました。
当初の市域は府内15区で、特例により市長をおかずその職を府知事が兼務するという変則的な地方自治体として始まったのでした。
1889年(明治22)5月というのは市制・町村制が施行されたときで、上記の市制特例は東京市だけでなく、大阪・京都の市制も然りだったのです。それについては、議論となることが多かったらしく、首長の官選・公選をめぐって政府・貴族院と衆議院・東京市が対立していました。
ところが、第2次世界大戦への突入にともない、1943年(昭和18)のこの日、戦時体制強化のために新たに都制が施行されました。その内容は
- 地方自治体としての「東京市」と「東京府」とを廃止し「東京都」を設置
- それまでの東京市役所の機能を東京都庁に移管
- 旧東京市35区は従来通り議会をもつ自治体でありながら東京都の直轄の区とされる
- 区長職は、従来<東京市の職員が任命> → 変更<官吏が任命>
- 東京都長官の指揮監督を通じて内務省による統制が強化
といった具合に、内務省の主導で官治的な色彩が極めて強いものでした。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
昨年は記事作成をサボっており、この項は無しです。
今日はここまでです。
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