7月6日 <笹子トンネル貫通(1902年=明治35)>

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1902年(明治35)のこの日、甲州街道の有数の難所であった笹子峠の地下に大トンネルを掘る工事は苦節6年の末、貫通を迎えました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

鉄道敷設法により中央本線の建設が決定し、その後、甲州街道における難所の最たるものの一つであった笹子峠の地下に15,250尺の大トンネルを掘って、その中に鉄道を敷設する方法が採択されました。

そうして、工事が開始されたのが1896年(明治29)12月9日でした。

 

当初8年と見積もられた工期でしたが、その時々の新技術が投入され、着工から6年の1902年(明治35)のこの日、東端の黒野田口と西端の初鹿野(はじかの)口から掘り進められたトンネルは、ついに導坑が貫通しました。全長4,656mの大トンネルでした。

同年7月12日には、東西両口において地元関係者を招いて、そして7月19日には朝野の士を招いて貫通祝賀会を開きました。

最終的に開通したのは翌1903年(明治36)2月1日でした。

 

 

笹子トンネルは開通以来60年以上にわたって、単線での運用によって列車が行き来してきましたが、輸送需要の増加に伴い、国鉄では高尾〜甲府間の複線化を決定し、笹子トンネルについても、もう1本のトンネル「新笹子トンネル」を新たに作ることになったのです。

1963年(昭和38)12月に新笹子トンネルが着工され、1965年(昭和40)3月18日に貫通しました。笹子トンネルが着工から貫通まで6年かけたのに対し新笹子トンネルは1年3ヶ月で完了したのは、トンネル工事技術の長足の進歩の賜物であったと言えましょう。

この新笹子トンネルは、1966年(昭和41)12月12日に使われ始め、旧来の笹子トンネルが下り線、新笹子トンネルが上り線を使用して現在に至っています。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

昨年は記事作成をサボっており、この項は無しです。

 

今日はここまでです。

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