1949年(昭和24)のこの日、大型のキティ台風が神奈川県茅ヶ崎市に上陸し、そのまま北上を続けて東京を直撃しました。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
彩ちゃんと黒猫のPinotとが、今日の記事について話していますよ・
Pinotは物知りですね。
本題に入る前に、話題になっていた台風の命名方法について触れておきましょう。
第二次世界大戦の敗戦後、日本は米軍の占領下にありました。その時代、台風の命名は、アメリカ式の女性名を用いていたのです。1952年(昭和27)にサンフランシスコ講和条約発効し、その翌1953年(昭和28)の台風2号以降、現在と同じ様に台風を番号で呼ぶようになったのでした。
今年(2018年)の8月は、なんと9個の台風が発生しました。気象庁が台風の統計を取り始めた1951年(昭和26)以降、9個もの台風が発生したのは6回しかありませんでした(今年が7回目)。今までの最高記録は
- 1960年(昭和35)8月:10個
- 1966年(昭和41)8月:10個
なんですよ。
ちなみに、台風の1年当たりのトータル個数は、1960年の場合27個、1966年は35個でした。年間での最高は1967年(昭和42)の39個です。今年は何号まで発生しますかねぇ。
それと、台風の命名が女性の名前だけではなくなったことについて、Wikipediaに興味深いことが書いてありましたので以下に引用します。
ハリケーンを女性名で呼ぶことはジョージ・スチュワート(小説家)の1941年の小説『Storm』を由来として1940年代から海軍の気象学者などによって行われており、米軍は1945年に西太平洋で発生するタイフーンについて女性名のリストを採用したが、アメリカ気象局(現・アメリカ国立気象局)の採用は1953年にまでずれこんでいる。後にこの命名法は男女同権に反しており性差別につながるなどとして、世界気象機関(WMO)から改善の要求があり、1979年からは男性名・女性名を交互につける方法に改められている。
(Wikipedia「台風」から引用)
で、いよいよ本題です。
1949年(昭和24)のこの日、中心気圧956hPa、平均風速25m、最大瞬間風速47.2m(八丈島データ)という大型のキティ台風(台風10号)が、神奈川県茅ヶ崎市に上陸し、そのまま北上を続けて東京を直撃しました。
首都圏を直撃し、暴風雨に巻き込んだ台風は、その通過が満潮時と重なったために東京湾では高潮による浸水被害も続出しました。
江東区南砂町一帯では2mもの水に浸かり、また江戸川区でも3つの町が丸一日孤立状態になったほどでした。この江東区や江戸川区は海抜ゼロメートル地帯と呼ばれる、満潮時の海水面より標高が低い土地だったのです。これらの地帯をはじめとして都内での浸水被害(全半壊含)はなんと16万戸を越え、21都道府県の死者行方不明者は160名、負傷者は479名と大きな傷跡と残しました。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
昨年は記事作成をサボっており、この項は無しです。
今日はここまでです。
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