9月13日 <老中暗殺を図った牢人を逮捕、承応事件(1652年=慶安5)>

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1652年(慶安5)のこの日、江戸幕府老中松平信綱のもとに、老中という謀反に関する密告があり、即日、別木庄左衛門ら首謀者が逮捕されました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

1652年(慶安5)のこの日、江戸幕府松平信綱のもとに訴人がありました。

その訴人の密告は

別木庄左衛門(べつきしょうざえもん)をはじめとする牢人らが党を結成し、15日夜、第2代将軍徳川秀忠の御台所崇源院の27回忌法要が終わるのを待って芝の増上寺に火をつけ、老中らが出てきたら鉄砲で討ち取り、天下の変を伺う

という衝撃的な内容でした。

 

松平信綱ら幕閣は、首謀者とされた別木庄左衛門らを逮捕し、残りの関係者も順次逮捕され、同月21日、磔に処されました。同月の18日に年号が承応と改元されたため、この事件は承応事件(承応の変とも)と呼ばれます。

 

その前年の第3代将軍徳川家光の死去直後に起きた由比正雪の慶安事件により、江戸幕府は大量の牢人が存在するという問題の深刻さを認識しつつあったところに起きた、この承応事件は慶安事件ほどの政治性はありませんでしたが、幕府に牢人対策の強化を促す結果となり、翌10月26日には江戸居住の牢人の居所登録が命じられました。

この承応事件は慶安事件とともに、それまでの幕府の武断政治を文治政治へと方針転換させるきっかけになった事件でした。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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