9月8日 <江戸幕府、年俸4,050万円の定火消を設置(1658年=万治元)>

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1658年(万治元)のこの日、江戸幕府は旗本4人を府内火消役に任命し、江戸市中の消防に当たらせました。これが定火消(しょうひけし)の始まりです。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

定火消しというのは、一言で申せば町の消防団ですね。それが江戸の防火に当たるというミッションを持った幕府の職制であったのです。

その前年の明暦の大火をうけて、1658年(万治元)のこの日創設されました。創設当初は旗本4人で、飯田町・左内坂・お茶の水・麹町の4組に分かれ、各定火消役には火消屋敷が、配下として与力6騎・同心30人が与えられ、また実際の消火にあたる臥烟(がえん)を雇用して、火消し団としての一隊を形成しました。

1704年(宝永元)以降は10人が火消役に任命されましたが、その後大名火消や町火消の成長によって、1819年(文政2)以降は出動範囲が郭内に限定されました。

 

ところで、この火消役はどの程度の給料を貰っていたかと申しますと、役料は300人扶持でした。

扶持とは戦国末期〜江戸時代に下級家臣に支給された給与のことで、本給として支給されたのは米穀(扶持米)でした。

1人扶持といった場合は、1日あたり5合を基礎として、月俸1斗5升、年俸1石8斗と算出されます。火消役は300人扶持だったので、年俸540石ですね。コメ1石=150kgなので、コメ10kgを5,000円とすれば、1石は75,000円。540石は年俸4,050万円ということになりますねぇ。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

昨年は記事作成をサボっており、この項は無しです。

 

今日はここまでです。

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