10月27日 <好色本などに絶版が申し渡される(1790年=寛政2)>

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1790年(寛政2)のこの日、江戸地本問屋にこうした猥雑で風俗に悪い出版物(世上の噂を題材にした写本や洒落本などの好色本)の絶版が申し渡されました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

暴れん坊将軍こと8代将軍徳川吉宗のあと、9代徳川家重(いえしげ)、10代徳川家治(いえはる)の時代には、側用人を兼ねて老中となった田沼意次(たぬまおきつぐ)が幕政の実権を握り、強い権勢を振るいました。この時代は田沼時代と呼ばれています。今日は、この田沼時代についての話ではないので、サラリと流します。一言で申せば、この田沼意次の政策は、発展してきた商品生産やその流通が生み出す富に着目し、経済発展の成果を吸い上げて幕府の財源として、財政問題の解決を目論んだ極めて合理的なものでした。ところが、そうした商品経済・貨幣経済の発展は、従来の農村をベースにした秩序を動揺させるとともに、経済的負担を転嫁された民衆からの不満が高まってしまったのです。その結果、一揆や打ち壊しといった暴動が頻発し、また飢饉や災害なども重なって政策運営は行き詰まってしまいました。

 

その後を受けて、政権の舵取りをしたのが、白河藩主であった松平定信(まつだいらさだのぶ)です。1787年(天明7)6月に松平定信が老中に就任し、寛政の改革が断行されました。

 

寛政の改革は、

  1. 田沼時代の政治路線の転換
  2. 都市秩序の安定
  3. 本百姓体制の再建
  4. 幕府財政の立て直し
  5. 公儀権威の回復

を主眼とした政策が取られました。思想の面でも儒学の振興を積極的に図り、また、民間に対しても思想面で取った政策があります。その基本的な考えは

 

 「禁欲」

 

でした。時事ネタは勿論のこと、物事を茶化す精神や風俗に悪影響を与えるものは統制されました。

 

1790年(寛政2)のこの日、江戸地本問屋にこうした猥雑で風俗に悪い出版物(世上の噂を題材にした写本や洒落本などの好色本)の絶版が申し渡されました。これは幕府政治への風刺や批判を取り締まり、風俗の刷新を図るのが目的でした。

 

この地本問屋というのは現在でいう版元のことで、代表的な業者は蔦重(つたじゅう)と呼ばれた蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)が居ます。

ここでピン!と来られた方は鋭いですよ!

レンタルビデオ・書店で有名なTUTAYAは、現在の社名はカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社ですが、創業時は蔦屋だったのです。同じ字ではありますが、決して「江戸時代の地本問屋の「蔦屋」の主人の蔦屋重三郎にあやかり名付けた」などという事は無い様です。創業者のお祖父様がやっていた店の屋号が「蔦屋」でそこに由来するそうです。

 

話は変わりますが、松平定信の政策の基本は「禁欲」にあり、と申し上げましたが、松平定信は以下の様に述べています。

「日常生活でうれしい、たのしいと思ったことは一つもない。病気にさわるから好きなものを食べるなといわれれば、そのとおりにしてなんの苦痛もおぼえない。性交も子孫をふやすために必要だと思うからおこなうだけで、情欲があふれてがまんできないなどと感じたことはない。」

こんな具合ですから、性交の回数も年齢に応じて減らし、55〜6歳からは全く断っていたそうです。定信は、夫人が病弱で子供ができなかったので、23歳の時に妾を一人囲いましたが、心がけやおこないを見てその人物の善悪がわかるまで二月も寝室には入れなかったそうです。そうした定信らしい、民間への出版統制でした。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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