11月2日 <水俣漁民、チッソに突入。水俣病(1959年=昭和34)>

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1959年(昭和34)のこの日、熊本県不知火海沿岸の漁民約1,500人が、水俣病を放置している新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場へデモ行進を行い、そのまま工場に乱入し、警官隊と衝突しました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

第2次世界大戦後の経済の高度成長期、各地で様々な工業化が進みました。そのあまりにも急速な変化は、地域社会に深刻なダメージを与えました。生産における数々の技術革新によって生産効率は大きく向上し、労働生産性は著しく高くなりましたが、それに伴う有害な副産物への対処技術を日本は有していなかったのです。

工業地帯では大気・水質汚染、騒音、地盤沈下などの諸問題が続発し、コンビナート建設反対などをスローガンとして闘った革新勢力が、自治体選挙で勝利することも多くなりました。

そうした時期、4つの公害病が特にクローズアップされていました。

  1. 水俣病(熊本県):チッソ水俣工場の廃液の有機水銀中毒による被害
  2. 新潟水俣病(新潟県):昭和電工が排出した有機水銀中毒による被害
  3. イタイイタイ病(富山県):三井金属工業排出のカドミウムによる被害
  4. 四日市ぜんそく(三重県):石油化学コンビナート排出の亜硫酸ガスによる喘息などの被害

今回の記事はこの水俣病に関するものです。

水俣病は、新日本窒素肥料(現・チッソ)の熊本県水俣工場のアセトアルデヒド製造工場から垂れ流されたメチル水銀で汚染された魚介類を食べた住民が掛かったメチル水銀中毒症のことです。

中枢神経が冒され、臓器や全身に影響がおよび、四肢末梢神経の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、聴力障害、平衡機能障害、言語障害、振戦(手足の震え)等の症状が現れます。

 

1956年(昭和31)、最初の患者が発見され、同年11月熊本大学医学部は工場排水が原因と報告しましたが、会社も国もそれを否定しました。その結果、工場排水は垂れ流され続けられたのでした。

 

1959年(昭和34)のこの日、熊本県不知火海沿岸の漁民約1,500人が、水俣病を放置している新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場へデモ行進を行い、そのまま工場に乱入し、警官隊と衝突しました。

この時点で既に76人が発病し、29人が死亡していたのでした。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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