12月2日 <国勢調査実施の法律が公布(1902年=明治35)>

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1902年(明治35)のこの日、「国勢調査二関スル法律」が公布されました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

欧米諸国では、国内の人口を調べる国勢調査(population and housing census)が実施されていました。

日清戦争後の1895年(明治28)9月には、欧米諸国の統計局長及び著名な統計学者により構成される国際団体・国際統計協会(International Statistical Institute)から日本政府に対して「1900年世界人口センサス」への参加の働きかけがされました。これをきっかけに、日本も欧米諸国にならって国勢調査を行うべき、との声があがり1896年(明治29)貴族院及び衆議院にて「国勢調査ニ関スル建議」が可決されました。その後、この建議から6年後の1902年(明治35)のこの日、10年ごとに国勢調査を行う法律「国勢調査二関スル法律」が公布されました。

しかし、1905年(明治38)に第1回の調査が行われる予定でしたが、実施方法など問題点が多く、また日露戦争のために延期され、初めて実施されたのは1920年(大正9)10月1日でした。それ以降10年ごとに大規模調査年を、またその中間の5年目には簡易調査年をおき、周期的に調査が行われています。ただ、1945年(昭和20)に予定された調査は第2次世界大戦の敗戦のため1947年(昭和22)に実施されました。

現在は、1947年(昭和22)公布の統計法を根拠法とする指定統計として国勢調査が行われています。

 

この「国勢調査」の語源に付き、Wikipediaに記述がありますので、以下に引用します。

「国勢調査」の語源については諸説があり、論文に登場する最も古い用例としては、臼井喜之作の明治26年(1893年)の学会誌論文に「国勢大調査」という語が見られる。この中には、「彼の日本新聞は客年既に国勢調査の必要性を論じて曰く…」との記述があり、このことから、実際に「国勢調査」の語を使用した最も古い事例は日本新聞と考えられている。

なお、「国勢」という語は、国勢調査以前にも大隈重信などにより用いられている。大隈重信は、明治14年(1881年)に建議した「統計院設置の件」の冒頭で、「現在ノ国勢ヲ詳明セサレハ 政府則チ施政ノ便ヲ失フ 過去施政ノ結果ヲ鑑照セサレハ 政府其ノ政策ノ利弊ヲ知ルニ由ナシ …(中略)…現在ノ国勢ヲ一目ニ明瞭ナラシムル者ハ統計ニ如クハナシ」と述べている(大意:現在の国の情勢を詳しく明らかにしなければ、政府は施政の手段を失う。過去の施政の結果を詳しく調べなければ、政府はその政策の利点や弊害を知る方法がない。…現在の国の情勢を一目で明瞭にするものとして統計に並ぶものはない)。「国勢」という語は、statistics(語源はstate=国)の訳語に充てられていた「国勢学」にも用いられていたことからも分かるように、明治初期以降、一般に用いられていたものと推定される。

なお、一説には横山雅男ら当時の統計学者の中には人口調査などとはせず、あえて「国勢(国家の勢力)調査」としたとの見方もある。これは、当時の「国の力を増し、欧米に追いつき追い越せ」という風潮に乗り、「国の勢力を調べる調査」というイメージを含ませることによって国家指導者の調査への賛同を得るという思惑があったためだとの見方もある。

(Wikipedia「国勢調査」から引用)

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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