147年前のこの日、我が国で初めての日刊邦字新聞「横浜毎日新聞」が発行されました。
これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
明治時代を通じて新しい文化は次第に我が国の国民の間に浸透していきました。そのために大きな役割を果たしたものに、新聞・雑誌などのジャーナリズムの発展でした。
ジャーナリズムの先駆は、江戸時代以来、庶民の間に広まっていた読売瓦版(よみうりかわらばん)や戊辰戦争の最中に創刊された民間の「もしほ草」「中外新聞」、政府の「太政官日誌」などがありました。
最初の日刊新聞は、横浜活版社が1870年(明治3)のこの日に創刊した「横浜毎日新聞」です。この日刊邦字新聞は、木刻活字による洋紙1枚両面印刷の画期的なもので、貿易関係記事や海外ニュースなどを掲載しました。
これは、当時の神奈川県令(県知事)・井関盛艮(いぜきもりとめ)が近代新聞の必要性を横浜の貿易商達に説き、印刷業者の本木昌造・陽其二の協力の下、創刊に漕ぎ着けたものでした。
1879年(明治12)には東京に移駐し、「東京横浜毎日新聞」と改題し、沼間守一社長のもと、改進党系新聞としての性格を強め、自由民権運動の高揚とともに有力な全国紙として発展を遂げました。
しかしながら、経営は上手くいっていなかったようで、経営者が転々とし、1940年(昭和15)に「帝都日日新聞」吸収合併され廃刊となりました。
初期の頃は、後年政治家に転身した星亨(ほしとおる)や戯作者の仮名垣魯文(かながきろぶん)が在籍していたことでも知られています。
2.過去年の記事
過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。
- 2016年記事:<北条時宗、円覚寺を創建(1282年=弘安5)>
今日はここまでです。
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