2月8日 <日劇で第1回ウェスタンカーニバル開催(1958年=昭和33)>

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1958年(昭和33)のこの日、有楽町に在った日劇(日本劇場)でウェスタンカーニバルが初めて開かれました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

今日、2月8日は「ロカビリーの日」という名称が付けられた記念日なんですね。

 

それは、この日から日劇ウェスタンカーニバルが始まったからなのです。その催しは、かつて有楽町にあった日本劇場で行われていた音楽フェスティバルで、1958年(昭和33)2月〜1977年(昭和52)8月までの間に57回の公演がありました。その会場であった日本劇場」は、現在は有楽町センタービル(有楽町マリオン)に変わっています。

 

1958年(昭和33)の今日から開催された第1回では、出演したのは平尾昌晃(ひらおまさあき)、山下敬二郎(やましたけいじろう)、ミッキー・カーチスでした。三人はそれぞれのキャラクターで銀座・新宿・池袋などで演奏活動をしており、当時は「ビッグスリー」と呼ばれていました。この三人を一堂に集めたら「当たる」と考えたのは、渡辺プロを立ち上げて間もない頃のプロモーターの渡辺美佐(わたなべみさ)でした。

 

その渡辺女史の目論見は見事に当たり、初日からファンの列が、丸い日劇の建物を三周半し、劇場内では舞台と客席が一っになって沸いたそうです。その時の観客動員数は初日だけで9,500人、1週間で45,000人と記録的な興行でありました。

 

出演者はギターと自分の肉声だけの演奏で、マイクはありましたが、電気的に音量を大きくすることはしませんでした。赤・白・黒の派手な服装でショーアップし、パワフルな演奏者のアクションに熱がはいると、その熱気が客席に伝わり大興奮と相成ったワケです。

 

山下敬二郎の父親である、噺家の柳家金語楼(やなぎやきんごろう)は、息子の舞台を見て次のように感想を述べました。

「よく暴れるもんですなぁ」

 

また、エッセイストの渋沢秀雄は次の様にサンデー毎日に寄稿しています。

「細ズボンの両足を広く開き、上半身をくねらせ全身を小刻みに痙攣させ、全身これ貧乏ゆすりという感じ」

(サンデー毎日:1958年2月18日号より引用)

 

アメリカ映画『暴力教室』のなかで歌われた「ロック・アラウンド・ザ・クロック」やエルビス・プレスリーが歌う「ハート・プレイク・ホテル」が大ヒットして、ロックンロールとウェスタンのビルビリーとを組み合せたロカビリーが、当時の若い世代にアピールする下地はあったので、このウェスタンカーニバルは大当たりとなったのですが、新聞や雑誌は「狂気の沙汰」と冷淡に報道しました。

 

この第1回が興行的に成功を収めたので、それ以後も定期的にウェスタンカーニバルとして開催され、1950年代にはロカビリーブーム、1960年代後半にはグループ・サウンズブームが起こった事もあり、人気の催し物となりました。

 

そのグループサウンズブームも終わった後は、ウェスタンカーニバルも衰退し、1977年(昭和52)8月をもって、その歴史を終えました。

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。
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