1890年(明治23)のこの日、奈良県橿原市の畝傍山の東南麓に橿原神宮が創建されました。
これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
明治政府は神武天皇即位を元年とする皇紀2550年を記念して、神武天皇の畝傍橿原宮(うねびかしはらのみや)の跡地と目される畝傍山の東南麓に、神武天皇と姫蹈鞴五十鈴姫(ひめたたらいすずひめ。神武天皇の皇后)命を祀る橿原神宮を創建することにしました。
幕末以降の尊皇攘夷運動のなかで神社建立を請願したのが創建の発端です。
1889年(明治22)、京都旧皇居の温明殿(うんめいでん。賢所:かしこどころ)を本殿、そして神嘉殿(しんかでん)を拝殿として移築して社殿としました(尚、この神嘉殿は、1993年(平成5)2月に火災により焼失しました)。
そして、1890年(明治23)4月2日、宮号宣下をうけて官幣大社(かんぺいたいしゃ)橿原神宮となり、鎮座際が行われました。
皇紀2600年の記念として、同神宮は1938年(昭和13)〜1940年(昭和15)には第二次整備拡張事業を行い、全国からの勤労奉仕により境内域を拡張し、施設を整備しました。
その皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)には昭和天皇が同神社に行幸され、この年の橿原神宮への参拝者は約1000万人に達しそうです。現在でも皇族の参拝が行われています。
神武天皇は、伝説上の人物で実在しないワケですが、この様に見事な神社でお祀りしており、2月11日の紀元節には右翼の街宣車が集団参拝のために大挙して押し寄せ、地元では騒音の問題が生じているそうです。
例年4月3日は神武天皇祭と呼ばれる行事があります。お近くにお住まいの方は行かれては如何でしょうか。
2.他の年、この日の記事
他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
- 2018年記事:<高野長英、宇和島に逃亡(1848年=嘉永元)>
今日はここまでです。
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