1310年前のこの日、元号が「慶雲」から「和銅」に改められました。
これは飛鳥時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
元号は、年号ともいい、日本では645年の大化(たいか)が最初の元号です。その後、ずぅっと続いていたワケではなく、断絶していた時期もありましたが、701年の大宝(たいほう)以降は連続して現在の平成に至っています。
明治以降は一世一元の制が定められ、践祚(せんそ)に伴う開眼に限定されましたが、それ以前は祥瑞(しょうずい)・災異・三革(辛酉・甲子・戊辰の年)など様々な理由で頻繁に改元されていたのです。
明治より前の時代の改元の手続きには以下のステップがあったそうです。
- 紀元道から、複数の候補を提出
- 大臣・参議らが陣の座において新元号を決定
- 天皇により改元詔書が公布される
現在では、1979年(昭和54)に定められた元号法にもとづき、元号制定に関する権限は内閣に属しています。
708年(慶雲5)のこの日、元明天皇の御代でありましたが、武蔵国秩父郡から銅が献上されたことにより、元号が和銅に改元されました。和銅とは精錬を要しない自然銅の意味だそうです。
この元号を聞いて、日本史を学んだ方ならピンと思い出すものがありますね。和銅となった年の8月には和同開珎と呼ばれる銅銭が発行されていますね。小生が日本史を習った頃は最古の銭貨は和同開珎である…と覚えたものでしたが、今では富本銭が我が国最古の銭貨です。
この和銅の時期には平城京に遷都されたり、古事記が完成したり、といった出来事がありました。で、715年(和銅8)9月2日に霊亀と改元されて和銅の期間は終わりです。
さて、話は現代に戻りますが、現在は平成時代ですね。2019年4月30日に、今上天皇がご退位なさるので、平成時代はそこで終了し、新たな元号が制定される予定です。
Wikipediaに元号制定の条件という記事があるので、以下に引用します。
『昭和大礼記録(第一冊)』によると、一木喜徳郎宮内大臣は漢学者で宮内省図書寮の編修官であった吉田増蔵に「左記の五項の範囲内に於て」元号選定にあたるように命じた。
- 元号は本邦はもとより言うを俟たず、支那、朝鮮、南詔、交趾(ベトナム)等の年号、その帝王、后妃、人臣の諡号、名字等及び宮殿、土地の名称等と重複せざるものなるべきこと。
- 元号は、国家の一大理想を表徴するに足るものとなるべきこと。
- 元号は、古典に出拠を有し、その字面は雅馴にして、その意義は深長なるべきこと。
- 元号は、称呼上、音階調和を要すべきこと。
- 元号は、その字面簡単平易なるべきこと。
(Wikipedia「元号」から引用)
平成の次の元号が何になるのか、少し楽しみでもあります。
2.過去年の記事
過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。
- 2016年記事:<新井白石、海舶互市新例を制定。(1715年=正徳5)>
今日はここまでです。
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