1月11日 <新井白石、海舶互市新例を制定。(1715年=正徳5)>

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今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の中の出来事を覗いてみましょう。

 

1715年(正徳5)の今日、新井白石が、国際貿易額を制限するために海舶互市新例(かいはくごししんれい)を制定しました。長崎新令・正徳新令・正徳長崎新令とも呼ばれています。

 

当時は鎖国中であったので、海外との貿易は長崎のみで行われていました。輸入代金の支払は金銀で行なっており、その量は莫大でした。オランダと中国(明・清)との貿易で、1601年(慶長6)〜1708年(宝永5)の100年余りに間に国外に流出した金銀は、新井白石の概算で国内産出の金では1/4、銀では3/4だったそうです。

 

このままでは日本国内の金銀が払底する!と懸念した新井白石が、長崎奉行の大岡清相(おおおかきよすけ)とともに中心と成って貿易制限を提案&推進したのが、この法令ができた背景です。

 

その骨子は、

  1. 銀・銅の産出能力にみあった貿易額と貿易船数を設定し
  2. 中国船・オランダ船にその数値を確実に守らせ
  3. その結果生じた積戻りの不満を代物替(しろものがえ:物々交換のこと)で緩和する

というものでした。その貿易制限は清船は年間30隻・銀高6000貫、オランダ船は年間2隻・銀高3000貫と決められました。

 

また、一方で長崎町民に対しては貿易の出来高に関わらず配分銀や飯米を保証する体制を整備し、貿易統制による不利益の緩和を図ったのでした。

 

このような制限を設けたものの、中国船には、貿易制限を遵守することを約した船に通事名の信牌(しんぱい)を与え、紡績総額制限と長崎市中の安定には一定の効果を上げたようです。これ以降、長崎貿易は基本的にこの手法にそって行われましたが、貿易額は何回か変更が行われました。

 

今日はここまでです。

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