5月30日 <新選組の沖田総司没(1868年=慶応4)>

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1868年(慶応4)のこの日、池田屋事件などで活躍した新選組一番隊長の沖田総司が、患っていた肺結核のため江戸で病没しました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

今回の記事の和暦ですが、1868年なら明治元年ではないのか? と思われる方がおられるかもしれませんね。

明治と改元されたのは1868年10月23日(慶応4年9月8日)なんですね。なので、今回の記事では慶応4年という取扱ですが、一般的には1868年1月1日以降を明治時代と呼んでいます。

 

さて、今回の記事は新選組の沖田総司のことです。

沖田総司といえば、ドラマ・映画では若手二枚目俳優が演じ、またコミックでは眉目秀麗に描かれており、その現実は? と思ってしらべましたが、画像を探すことが出来ませんでした(ニセ画像が出回るほどの人気者ではあるようですが)。

その画像が無い経緯についてWikipediaは次の様に記述しています。

また、沖田の写真は一枚も残されていないが、ミツの証言によると、「沖田の次姉キンの文机の引き出しに彼の写真がある」と伝えられていたが、新選組研究者によると、キンの文机の引き出しを調べたが写真はなかったという。家を引越しする際、可燃ごみと一緒に処分してしまったのではないかとされる。

(Wikipedia「沖田総司」から引用)

ミツというのは沖田総司の姉のことです。

 

さて、沖田総司ですが、実は生年月日が分かっていません。生年については生年については

  • 1842年(天保13)
  • 1844年(天保15)

の2説があり、小生の使った山川出版社の「日本史広辞典」では1844年説を採っていました。また月日についても、夏頃であること以外に情報はありません。

陸奥国白河藩の脱藩者といわれ、天然理心流近藤周助の道場の師範代をつとめる程の腕前でした。同じく新選組局長近藤勇も同じ道場の出身で、総司はその弟弟子にあたります。土方歳三もまた同門です。

 

1863年(文久3)京都での新選組結成以来、有力な隊士として活躍し、総司は一番隊長を任じられ、そこで

  • 1863年(文久3)9月:芹沢鴨暗殺
  • 1864年(元治元)5月:大坂西町奉行所与力・内山彦次郎暗殺
  • 1864年(元治元)6月:池田屋事件

などの重要な出来事に関与したほか、戊辰戦争でも各地を転戦し、甲陽鎮撫隊にも加わりましたが、1868年(慶応4)のこの日、患っていた結核により療養していた江戸・千駄ヶ谷で他界しました。

Wikipediaの記述によれば1867年(慶応3)の秋頃からは

沖田が戦闘に耐えがたいほど重篤な状態に陥った

(Wikipedia「沖田総司」から引用)

と書かれています。

生年不祥のため享年も判りません。総司の墓は東京都港区・元麻布の専称寺にあります。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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